梨食めば水辺を歩むやうな音  仲村折矢

食う、でも、食ぶ、でもなく、「食む」のやわらかいひびき。
走る、でも、歩く、でもなく、「歩む」のやわらかいひびき。

梨を食べているときの音や感触が、水辺を歩いているときのようだと大胆に比喩することで、梨のみずみずしさや、その光の具合を言い止めた。この詩的な比喩を、言葉のひびきが、調べの面から支えている。どこへたどり着くわけでもない、淡々とした水辺の歩みが、梨の淡泊にしてどこまでも続いてゆくような味わいを感じさせてもくれて。

第一句集『水槽』(ふらんす堂 2016年)より。この句のほかにも、

五月来る百葉箱のやうな家
南てふ文字にも見ゆる熱帯魚
白鳥来新譜の届きたるやうに
白鳥の一輪挿しのやうな首
さくら貝てのひらひらくやうに波
桃の種妬心に形あるならば

など、多彩な比喩が特徴。そのほか、惹かれた句をいくつか。

噴水や小鳥にも待つ小鳥ゐて
水槽の中の流木冬館
空色に塗りつぶされて虹の消ゆ
目撃者全員男雪女
梳く髪の水面に触るる泉かな
象の背に小鳥八月十五日
傾く絵もとに戻してより秋思
金色のピアノのペダル冬に入る
トランプの散らばるベッド雪の夜
十二月八日鳥籠覆ふ布
あたたかき言葉を欲りて雪女郎