産み終えて涼しい切株の気持ち   神野紗希

〈産み終え〉た〈気持ち〉とは〈涼しい切株〉だという。
〈涼しい切株〉とは一体なにか。
出産とは、10か月ほどもの間、自分の中にいたものと離れる行為、とも言えよう。外に出てくることで出会える(距離が近づく)、という考え方もあるが、まさに一身同体だった存在と分離してしまう、という考え方もあり、後者は産む人間だからこそなのかもしれない。この〈切株〉には、そうした喪失感がうかがえる。
それでも、この喪失感に酔いしれすぎていないのは〈涼しい〉からこそ。さっぱりした気持ち良さすら感じられ、また、産まれた存在への愛も感じられる。
自分の役目がひとつ終わって、次の段階に進むということ。
涼しさのこの木まだまだ大きくなる  紗希(『光まみれの蜂』)》と詠んだ作者は今、自らが成長するばかりではなく、成長するものを見守る側をも味わっている。
大きくなるばかりが成長ではない。〈切株〉となって、腰かける誰かを休ませたり、蘖を楽しんだりすることもまた、成長、成熟であろう。喪失とは涼やかな新しい世界なのだ。

紗希は、俳句を書きあげたときもまた、〈涼しい切株の気持ち〉になっているのかもしれない、とふと思った。

「涼しい切株」(2016.10)より。