Professor,Teacher,先生、立春です  蜻蛉

ProfessorもTeacherも先生も、権威の象徴。学問の世界に生き、淡々と講義に没頭する先生に、春が来たことを告げようとする生徒は、もう、空が、風が、春になっていることを知っている。その点で、先生よりも生徒のほうがさきがけている。いや、立春への知覚だけではない。先生は年を重ね、すでに過去の存在となりつつあり、この「立春です」と告げる生徒こそが、未来の新たな知をひらく可能性を秘めているのだ。先生の気づかない春に、世界の今に、敏感なこの子が。

手を挙げて発表するときのような「です」の語尾の強さが、確かに春が来ていることを信じさせてくれるし、「Professor、Teacher、先生、」と何度も呼び方を変えて呼びかけていることからも、絶対にこれを告げなければいけないという意志が見える。それほどに、春が来た、新しい季節がきたということは、この若者にとって、切実なことなのだ。

海城高校文芸部「本の蟲」特別号句集「句蟲(くちゅう)」(2016年)より。昨年、俳句甲子園全国大会に出場した際の記録を含めた部誌から、他にもいくつか。

キュビズムのごとき仔猫のつめの痕  風見奨真
白居易も李白も死んだ秋死んだ     〃
もう終はりにしやう夕焼が少し苦い  はと
センス無さすぎて外套脱ぎました    〃
ちょんと突く新米のきいろいところ  萩原とてふ
虫しぐれ涙ふたつぶまでにして     〃
三日目の風船のミッキーにしわ    蜻蛉
つぶつぶを纏って苺本気なり      〃