わが脚のああ耐えがたき美味われは蛸   金原まさ子

自分自身を食べる〈蛸〉となるイメージ。
生きるために死ぬということ、死ぬために生きるということ。
ただ、食べてなくなることよりも、今まさに食べている途中という臨場感を味わいたい。
自身がなくなってしまいそうなのに、食べるのを〈耐えがたき〉という背徳感や恍惚。
この〈ああ〉〈耐えがたき〉〈美味〉という過剰な主観にリアリティがあるだろう。
創作とは、結局のところ自身の投影である。
自分自身を味わい尽くし、〈美味〉なる自分自身を自覚してこそ、作品となるのだ。

『カルナヴァル』(草思社、2013)より。

6月27日、金原まさ子さんがお亡くなりになったそうです。106歳。
直接お会いしたことはなかったけれど、折々お葉書やお電話などで気にかけてくださって、
チャーミングで素敵な方でした。

とは云え牡蠣のスウプお代り兄死後の   金原まさ子

別々の夢見て貝柱と貝は   金原まさ子