ひやうふつと潮風のきて蜘蛛の糸  小川楓子

「ひやうふつと」の涼しいリズム。蜘蛛の糸が風に動くゆらめきを、見事にうつしとったオノマトペだ。リアリズムとロマンチシズムを兼ね備えた潮風が、一句をなまなましい詩に引きあげた。

「俳句」(角川書店)2017年7月号「若手俳人競詠10句」より。
全体から、10句選んでみた。

ひやうふつと潮風のきて蜘蛛の糸  小川楓子
うぐひすに姿見の位置変はりたる  山岸由佳
逝く春の視界を撫でる布また布  トオイダイスケ
消すひとの目鼻吸ひとるテレビかな  中山奈々
トマト食ふ病人の顔灯りけり  兼城雄
芍薬の夢をはなれて雲平ら  生駒大祐
日なたにもすずしきところ葱坊主  黒岩徳将
遅れくることば涼しく指栞  安里琉太
今し方瓜呉れし子の寝てゐたる  堀下翔
のきすだれ唾液が午後をのびてゐる  大塚凱

句の途中で変化が起きている句が多い。鶯に気をとられた瞬間、手品のように、姿見の位置が変わっている。料理番組で「ここで20分煮込みまーす、では差し替えまーす!」と出来上がった鍋がすり替えられる、そんなふうにやってくる春。
目ではなく「視界」を撫で続ける布。「布また布」の二つの布は、同一の布(カーテンがひらひらしているのか)を一回一回新しく数えているのか、別の布なのか。
テレビを消した瞬間、自分の目鼻がすっと吸い取られる感覚、わかるなあ、としか言いようがないが、わかるなあ。あの、ふっと、光が真ん中に寄って消えちゃう感じなんだろうなあ。トマトという健康的な食べ物に、病人の顔を配した意外性を、静かになじませる「灯りけり」。

句の中で変化が起きるということは、句の中に時間が紛れ込んでいるということ。でも、それは日常の時間の流れ方とは違う。

「報告」          宮沢賢治

さつき火事だとさわぎましたの は虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つて居ります

一時間も虹が出ているという、時間の歪みが、たった二行の短詩の中に、丁寧に折り畳まれている。

夢見るような芍薬の花のすがた香りを離れてしまえば、雲は平らにやすらかに日常へ戻ってゆく。「て」を境にして、芍薬のほとりの永遠と、平常の永遠とが、さらりと接続されている。
「遅れくることば」の、過去が今に追いついた(やや手遅れな)感覚と、指栞という、今を過去にする瞬間的行為。
「今しがた」瓜をくれたはずの子が今寝ている。「今しがた」と「今」のあいだのはるけさを一瞬でまばたきのうちに飛び越してしまったような感じ。午後「を」のびて「ゐる」と、助詞でさらに引き伸ばされた唾液と時間。

時間をハンカチのように十七音の中に畳んでいる、その時間感覚(小さなタイムワープを繰り返す感じ)は、これまでにそんなになかった、今の若手に顕著なちょっと新しい傾向では。

俳句と時間の関係が、変化しようとしているのかもしれない。