近代俳句の祖・正岡子規の忌日は9月19日。35歳という短い生涯を、火の玉のように燃え尽くした子規だからこそ、その亡くなった日が人々の心に深くなにかを語り掛けるのだろう。
もろこしの食べ殻しんと子規忌なり 村越化石
健啖のせつなき子規の忌なりけり 岸本尚毅
健啖家だった子規の人柄を踏まえて、食べ物関係で詠む人もいる。「健啖のせつなき」とは言い得て妙、その二つの言葉の接続に詩が生まれている。
歯を借りて繃帯むすぶ子規忌かな 秋元不死男
病に伏した子規の苦しみを踏まえて心を寄せる人もいる。「歯を借りて」が面白く悲しい。
波霽れて子規忌の虹の立ちにけり 星野椿
子規忌へと無月の海をわたりけり 高浜虚子
虹が子規の志のきらめきを伝えてくれる椿の句、子規という巨きな存在を失ったのちの世界を「無月の海」で象徴した虚子。
そんな子規の人生に深く思いを寄せて詠むこともできるし、一方で、掲出の裕明の句のように「なんとなく」書き出してもいいのだ。150年前に生まれ、100年以上前に亡くなった人のことを、なんとなく思いながら、なんとなく、蚊取線香をたいている。子規も、病床の子規庵で、蚊取線香をたいただろうか。芭蕉忌や蕪村忌なら、きっと蚊遣香のような庶民的な素材は出てこない。子規の、どこか人なつこくて、懐かしい感じが、「なんとなく」蚊取線香をたかせたのだ。この句には、年月を経た子規忌がたしかに刻まれている。九月も後半になって、まだ飛んでいる秋の蚊も、どことなくあわれだ。