死はきらきらと飛魚の弧を描く  松本恭子

「死」から「きらきら」へ、対義結合的に、言葉がきらきらと裏切ってゆく。死とは正反対の、生命力あふれる飛魚の光。でも、生きるということは、死に向かっているということ。まっすぐ前だけを目指して飛んでいる飛魚は、すごく生き急いでいるようでもあり、それは生のかがやきでありながら、死のきらきらでもあるのかもしれない。

「死は」と、死を主語にしているところを重く読むと、飛魚の弧を描くのも(人間があれやこれやするのも、他の命たちの行動も、すべて)死が操っているのだ、と運命づけられているように思えてくる。

『夜の鹿』(青幻舎、1999)より。