端居しておもひは深し兵の母  高橋淡路女

端居が夏の季語。涼みながら、戦地で戦う息子を思う母。「おもひは深し」で、自身の考えや複雑な心境を語らず済ませてしまえる、沈黙の文学たる俳句。そんな俳句の側面が、淡路女に限らず、多くの俳人に、当時戦争を詠むことを許したのではないか。戦争に賛成・反対という立場を表明せずとも、俳句は、書けてしまう。そうして書かれた俳句たちは、ときに戦意高揚に利用され、兵や母たちをなぐさめてしまった。戦後、文学者が軒並み戦争責任を問われ追及される中で、俳人は、戦後の俳壇の布陣を見る限り、虚子や秋桜子をはじめとして文学報国会に参加し協力した人間が多数だったにも関わらず、その追求を免れたように見える。それも、はっきりと言葉に書かなくて済んだ、俳句という詩型の性格が関係しているのではないか。

『俳人が見た太平洋戦争』(北溟社 2003年)内、「大東亜戦争俳句集」(昭和18年8月)より。戦争と俳句を語るとき、反戦を訴えた新興俳句よりもむしろ、お国のためにと順じた多勢の俳句を見つめる必要がある。

言わずに、書けてしまえる俳句。共同体の無意識や共通認識を増幅させてしまう俳句。その暴力性に自覚的でいられないまま、時代を詠むことの恐ろしさを思う。