上京に際して、出臍なの、関係なくない?
でも、出臍を知っている関係って、たぶん兄弟のように親しい幼なじみで、出臍っていう言葉自体がなんだか懐かしくって、そんな洗練と正反対の特徴(=出臍)を持つ君が、上京して、東京で暮らしていくっていう知らせを受けて。ふとよぎる綿虫を目で追いながら、あいつ、出臍だったよなあ、からかったこともあったなあ、なんて思い返して。綿虫が、上京して幸せな楽しいことばかりじゃないってことを、もう示唆してしまっていたりして。
「出臍で」という、一見脈絡のない「君」の情報の挿入によって、単なる報告や素敵な詩にまとまることなく、言葉の違和感を抱いたまま、いつまでも心にひっかかる句となった。君の上京を聞いた私の気持ちも、「出臍で」「上京す」の言葉の段差みたいに、その事実をどこかすんなり呑み込めていないのだろう。マフラーに唇をうずめて、綿虫は空へ。
東北若手作品集「むじな」(2017年11月)より。