ゑのこ草摘んで膝窩の昏さかな 若林哲哉

「膝窩」は膝のうら、ひかがみ。秋草にかがんでえのころ草を摘む、その本人には見えない場所だ。膝窩を昏いととらえた感覚が、人の無意識の昏さ、さらには秋という季節の昏さを連れてくる。

金沢大学俳句会「凪」創刊号(2017年12月)より。今年は、関西の「奎」、東北の「むじな」など、地方在住の若者による雑誌の刊行が相次いだ。世界を言葉と捉えるか、物質と捉えるか、命と捉えるか。地方創刊の若手の俳誌には、最後の「世界を命と捉える」気配を強く感じる。でも、もちろん個人差はあるのでね。とにかく自由にやってもらいたい。

「おだやかな心で俳句を愉しみ、発表することのできる場としてあり続けることを願い、『凪』と名付けました。時に荒れ狂う言葉の海を渡ってゆくためのバイブルとして、『凪』が僕達を導いてくれることを信じつつ。」とは、「凪」創刊の言葉からの抜粋。以下は、会員の作品から一句ずつ。

相撲部の齧るアイスが空の色  ツナ子
凍鶴の啼いて世界の生き返る 敷島燈
初詣轍に沿つて歩く吾子 坂野良太
白々と彼方囁くかなかな声 姫草尚巳

金沢大学俳句会&「凪」では、会員募集中とのこと。ご興味ある方はtwitterの@Kindai_Haikukaiまで。