【99】  きさらぎをぬけて弥生へものの影   桂信子

「きさらぎ」は「如月」のことで、陰暦では二月のことを意味し、陽暦では二月末から三月末の時期をさす。季節としては春であるが、まだいささか寒さの残る頃ということになる。また、「弥生」は、陰暦では三月のことで、陽暦においては三月末から四月末の時期を意味し、まさに本格的な春の季節を意味するものとなる。なお、「きさらぎ(如月)」という言葉には、一説では「生更ぎ」という草木が更生する意味合いが含まれているとのことである。

掲句には、まだ寒さの残る「きさらぎ」の世界から、あらゆる「ものの影」が、あたかも「時空のトンネル」の中をゆっくりと潜ってゆき、そのまま「弥生」の眩い春の風景へと抜け出してゆくようなイメージが浮かんでくるところがある。もし、この「ぬけて」の部分が単なる「過ぎて」といった表現であれば、まずこのようなイメージが生じることはなかったはずである。また、中七の「きさらぎをぬけて・弥生へ」という句跨りのリズムもそういった印象を喚起する一因となっている。

あと、この時間の推移のみならず、下五の「ものの影」における「影」という言葉の存在もまた、掲句における春の季節の眩さを強く印象付ける結果となっていよう。そして、その溢れんばかりの光耀の後からゆっくりと「ものの影」である花や草木、昆虫や鳥などといった様々な自然の形象が浮かび上がってくるところがあり、まさにここからは春の季節の内包する生命感をまざまざと感取することができる。

このように見ると、掲句は、単に現実における春の風景をそのまま描出した句というよりも、時間の推移を通して春の季節の実相を捉えようとした句といえそうである。

掲句は、第五句集『初夏』収載の作であるが、作者の若い頃の句集『月光抄』(昭和二十四年)、『女身』(昭和三十年)における〈ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜〉〈窓の雪女体にて湯をあふれしむ〉などに見られた己れの肉体に対する強い自意識はここではもはや稀薄となり、自らの肉体の存在そのものが自然の万象の内へと溶け込み、ほぼ一体化する様相を示している。

掲句は、日野草城を源流とする身体性への意識、そして山口誓子を淵源とする具象への強い志向性、さらには前衛俳句の手法までをも自らの内へと包摂し終えた後の時期における、桂信子の作者としての集大成ともいうべき一句といえよう。

桂信子(かつら のぶこ)は、大正3年(1914)、大阪市生まれ。昭和13年(1938)、日野草城に師事。昭和24年(1949)、「青玄」創刊に参加、第1句集『月光抄』。昭和30年(1955)、第2句集『女身』。昭和42年(1967)、第3句集『晩春』。昭和45年(1970)、「草苑」創刊主宰。昭和49年(1974)、第4句集『新緑』。昭和52年(1977)、第5句集『初夏』。昭和56年(1981)、第6句集『緑夜』。昭和61年(1986)、第7句集『草樹』。平成3年(1991)、第8句集『樹影』。平成8年(1996)、第9句集『花影』。平成15年(2003)、第10句集『草影』。平成16年(2004)、逝去(89歳)。平成19年(2007)、『桂信子全句集』。

※「ふらんす堂」HP「桂信子全句集を読む 草のこゑ」 「時の向こう」(2010年)を改稿