【75】  オートバイ内股で締め春満月   正木ゆう子

作者が実際にオートバイに乗るのかどうかについては、個人的に知るところはない。掲句において、「オートバイ」を描きつつも、さほど荒々しさや騒々しさが感じられないのは、「春満月」という潤沢を帯びた柔らかみのある季語の作用ゆえであろう。「内股で締め」という身体意識と、はるか彼方にかかっている春の満月の存在。「オートバイ」を表現する場合、スピード感が前面に押し出されることが多いが、ここでは単にそれのみならず「内股で締め」という身体による感覚までもが描き込まれているということになる。

自らの身体感覚と大いなる世界との関係性。このあたりに正木ゆう子という作者の特徴を見出すことができるのかもしれない。

例えば〈雪の速さで降りてゆくエレベーター〉〈水に皿沈めて眠る春の風邪〉〈百合の蘂いのちのはじめ濡れてゐし〉〈泳ぎたしからだを檻とおもふとき〉〈地下鉄にかすかな峠ありて夏至〉など、これらの句からは、掲句とも共通する、作者の日常における感覚の鋭敏さというものを見て取ることができよう。

また、この作者の作品には、この世界そのものに対する肯定性が強く感じられるものが少なくない。例えば〈悠といふわが名欅の芽吹くかな〉〈朗らかな神さま草の絮飛ばす〉〈サフランや印度の神は恋多き〉〈揚雲雀空のまん中ここよここよ〉〈青萩や日々あたらしき母の老い〉などの句からは、いずれも向日性とでもいうべき要素が見て取れよう。あと、同じ作者に〈死を遠き祭のごとく蟬しぐれ〉という作品があるが、ここにおいては、それこそ死でさえもが「祭」という祝事として捉えられているということになる。

おそらくこういった感覚の鋭敏さや、この世界に対する肯定性といったものが〈息白くオーロラに音あると言ふ〉〈朧夜のこの木に遠き祖先あり〉〈水の地球すこしはなれて春の月〉〈潮引く力を闇に雛祭〉〈満月がひとりにひとつ海の上〉〈春の月水の音して上りけり〉〈地続きに狼の息きつとある〉などの作品に見られる、広大な世界との交感となって現出する結果を示しているのではないかと思われる。これらの作品は、掲句と同じく、大いなる世界の様相を捉えつつ、そこに自己の存在が基点として確と存在しているといった、相関の関係となっていることが見て取れよう。

これらの作品の世界からは、それこそ日本の神話における太陽の女神の存在が思い浮かんでくるところがあるが、結局のところ、正木ゆう子という俳人は、自らの身体感覚を拠り所として世界の在りようを深く捉え、それを強い生命感を湛えたまま作品の内へと封入し得る才質を有した作者ということができるはずである。

正木ゆう子(まさき ゆうこ)、昭和27年(1952)、熊本県生まれ。昭和48年(1973)、兄浩一に誘われ「沖」入会、能村登四郎に師事。昭和61年(1986)、第1句集『水晶体』。平成6年(1994)、第2句集『悠』。平成8年(1996)、同人誌「紫薇」参加。平成14年(2002)、第3句集『静かな水』。平成16年(2004)、『正木ゆう子集』(セレクション俳人)。平成21年(2009)、第4句集『夏至 半年後、私たちは太陽の向こう側にいる』。