常にどこかしら「霞がかっている」のが、この作者の俳句といえそうである。掲句は、昭和44年(1969)刊行の第2句集『花眼』収載の昭和30年(1955)の作ということになる。森澄雄の代表作として著名な一句であるが、改めて眺めてみると若干奇妙な感じがしないでもない。「白桃」は秋の季語であり、ここにはそれを「磧」で剥いている様子が描かれている。やや妙な感じがするのは、中七「白桃むけば」と下五「水過ぎゆく」の表現ゆえであろう。本来的には「白桃」を剥く行為と「磧」の「水」が流れてゆくこととの間には関連性がないのであるが、ここではあたかもそういった関わりがあるかのように描かれている。
手に残る「白桃」の重みと、流れ去ってゆく「水」の存在。掲句は、どちらかというと実景よりも作者の意識の方に比重のかかった作品といえそうである。また、ここからは「磧」という若干彼岸性を帯びた言葉と相俟ってやや茫漠とした雰囲気が感じられるところもある。あと、掲句には前衛俳句からの影響がいくらか考えられそうである。掲句と同時期の昭和30年代は、金子兜太や赤尾兜子などの前衛俳句が隆盛の時期であり、それこそ飯田龍太にもその影響が認められるが、森澄雄もまたそのような時代的影響と無縁ではなかったようである。例えば『花眼』には、他にも〈除夜過ぎて刻(とき)の点滴はなやぐも〉〈磧より春の雪嶺羽根ひらく〉〈昇天寸前旱老婆の白日傘〉〈胡桃ひとつに夢ひろがりぬ牡丹雪〉〈蜀葵(たちあふひ)人の世を過ぎしごとく過ぐ〉〈年過ぎてしばらく水尾のごときもの〉など、割合抽象的な表現の作品がいくつか確認できる。
そして、『花眼』以後においては〈夢はじめ現(うつつ)はじめの鷹一つ〉〈寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ〉〈雁の数渡りて空に水尾もなし〉〈白をもて一つ年とる浮鷗〉〈ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに〉など、それこそ虚と実の融合による「和風の象徴主義」とでもいうべき作品世界が展開されている。このように見ると、虚の要素を包含することのよって森澄雄の作品は一つの完成を示す結果となったといえるように思われる。
また、掲句においては、「白桃」や「川」といった「水」の存在が描かれているわけであるが、この「水」の要素も森澄雄の作品における大きな特徴といえよう。例えば〈さくら咲きあふれて海へ雄物川〉〈田を植ゑて空も近江の水ぐもり〉〈秋の淡海(あふみ)かすみ誰にもたよりせず〉〈春の鯉山雲はなほ深くゆく〉〈なかなかに水の暮れざる光琳忌〉といった「水」にまつわる事象(海、川、湖、霞、雲など)を描いた作品がいくつも存在する。また、もう一つの特徴として「時間」が挙げられよう。掲句にしてもそうであるが、他にも〈青いちじく齢の中の月日見ゆ〉〈綿雪やしづかに時間舞ひはじむ〉〈花李昨日が見えて明日が見ゆ〉〈桃の実や時の飛びゆくたしかにて〉〈億年のなかの今生実南天〉など、時間そのものを扱った作品が少なくない。
これらの作品からは、それこそ芭蕉の〈行春を近江の人とおしみける〉の内容がそのまま髣髴としてくるところがあるが、この辺りに森澄雄の俳句における一つのテーマ性を見出すことができそうである。「水」や「時間」にしてもそうであるが、他に「旅」や「生命」など、いうなれば「流れ」を伴う事象が作品における一貫した主題として沈潜しているのではないかという気がする。ここからはそれこそ芭蕉のみならず『方丈記』の冒頭部分までもが思い浮かんでくるところがあるが、結局、森澄雄の俳句に通底しているのは、大いなる「流れ」を有すこの世界そのものに対する無常観とそれに根差した深い慈しみの思いということができそうである。
森澄雄(もり すみお)は、大正8年(1919)、生まれ。昭和15年(1940)、「寒雷」創刊と同時に投句、加藤楸邨に師事。昭和29年(1954)、『雪櫟』。昭和44年(1969)、『花眼』。昭和45年(1970)、「杉」創刊主宰。昭和48年(1973)、『浮鷗』。昭和52年(1977)、『鯉素』。昭和55年(1980)、『游方』。昭和57年(1982)、『淡海』。昭和58年(1983)、『空艪』。昭和61年(1986)、『四遠』。平成元年(1989)、『所生』。平成4年(1993)、『餘日』。平成7年(1995)、『白小』。平成10年(1998)、『花間』。平成12年(2000)、『曼陀羅華』。平成13年(2001)、『天日』。平成15年(2003)、『遊心』。平成16年(2004)、『虚心』。平成20年(2008)、『深泉』。平成22年(2010)、逝去(91歳)。