大航海時代は、おおよそ十五世紀中ばから十七世紀半ばあたりまでの時期を指すという。よく知られているように、ヨーロッパ人たちによって、インドやアジア大陸、アメリカ大陸などへの海外進出が敢行された時代であった。当然ながら、人々は、船に乗って大海原へと出航してゆくということになる。
「さらしくぢら」とは、漢字で「晒し鯨」と表記し、鯨の薄く削いだ脂肪に熱湯をかけ、冷水に晒した食物のことで、俳句では夏の季語となる。
掲句は、作者の第一句集『砧』(一九八六年刊)の「昭和五十二年~五十四年」の期間における作品の中に収められた一句である。「人類」と「さらしくぢら」の言葉の関係性ゆえ、ここから大航海時代のイメージが思い浮かんでくるといっても必ずしも誤りではないであろう。ただ、ここにおいては、もはや鯨はかつての大航海時代の頃のように大海原をほしいままに遊泳する姿ではなく、単なる「さらしくぢら」として眼前に存在しているのみとなっている。
大航海時代を経て、世界の様々な場所においてひたすら都市化が進められる結果となった。当然そのような情勢の中、日本も例外ではなく、一八五八年にこれまでの鎖国が解かれ、開国。以後、延々と都市化が推進されることとなった。そして、第二次世界大戦後の復興から高度成長を経て、文明社会も掲句の詠まれた時点においては、最早来るところまで来てしまったという感覚があったようである。
ただ、掲句には、さほど強い悲哀感が漂っているというわけではなさそうである。おそらく、それは、「さらしくぢら」の平仮名表記による柔らかな印象に加えて、「黄昏」という言葉の働きもその一因なのであろう。「黄昏れて」であるゆえ、きわめて自然なかたちで「夕刻」を迎えているような趣きが感じられる。それこそ、どこかしら微笑を湛えているイメージさえ浮かんでくるようである。ここに見られるのは、時代の閉塞感というよりも、むしろ明澄なまでの空虚感とそれゆえの軽みとなろうか。それは、同じ『砧』の〈ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな〉〈立春の仏蘭西麵麭の虚かな〉〈虚子もなし風生もなし涼しさよ〉〈芋虫のまはり明るく進みをり〉などとも共通するものといえよう。
まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す 荻原裕幸『青年霊歌』(一九八八年刊)
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は 穂村弘『シンジケート』(一九九〇年刊)
掲句と近い年代の短歌には、このようなライトヴァースと呼ばれる作品が存在する。掲句の内容と割合近い位相にあるものといった印象を受けるが、おそらくこれは単なる偶然ではないであろう。貧困や結核などが減少し、衣食住にさほど不自由のなくなった時代。これらの作品に見られるのは、そういった状況の中で「自己の輪郭」自体が曖昧且つ不明瞭なものとなり、もはや「悲しみ」さえもがリアルでなくなった時代における感覚ということになるのかもしれない。
そういった時代の中にあって、小澤實は、現在まで坦々と地歩を築いてきたといった印象が強い。近作には〈翁に問ふプルトニウムは花なるやと〉という句も見られ、やはりその動向が注目される作者といえよう。ともあれ、掲句については、まさに当時の時代の在りようをそのまま捉えた一句ということができるはずである。
小澤實(おざわ みのる)は、昭和31年(1956)、長野県生まれ。昭和52年(1977)、「鷹」入会。昭和61年(1986)、第1句集『砧』。平成9年(1997)、第2句集『立像』。平成12年(2000)、「澤」創刊主宰。平成17年(2005)、第3句集『瞬間』、『セレクション俳人 小澤實集』。