埼玉西武ライオンズの小石博孝投手が、二〇一二年五月三日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でのプロ初勝利の際に詠んだ一句。
小石選手は鶴崎工業高校在籍時に国語の授業の一環で「二人きりいつも以上の心臓音」という俳句をつくり伊藤園の「お~いお茶新俳句大賞」に応募、都道府県賞を受賞している。小石は高校卒業後、立正大学、NTT東日本を経て、二〇一一年のプロ野球ドラフト会議で西武から二位指名を受け入団した。プロ入り後は二〇一二年一月二七日に所沢で行われた出陣式で「大勢のファンに囲まれ勇気出ていざ旅立ちの宮崎へ」と詠み、最近では二〇一四年にトークショーで「欲出さず笑顔満開3年目」、また同年日刊スポーツの取材に対して「生涯の女房と共に勝負の時」、今年もやはりトークショーで「文字通り言うこと為して志す」という句を披露している。
興味深いのは、「もともと僕は俳句は得意って言ってなくて、記者の方がどんどん載せちゃったので、言わざるを得ない環境になってしまいとても苦しい状況です。野球に集中したいのに俳句に集中をさせられてるという環境がつらいです」「野球が仕事なので俳句はもうやめてほしいです」(http://amakuchisisi.blog129.fc2.com/blog-entry-2486.html)と話しているように、本人は俳句を詠むことに対してあまり積極的でないにもかかわらず、周囲から俳句を詠むことへの要望が少なからず継続しているという点である。ここには、「俳句」というもののひとつの姿が―すなわち、俳句を詠むという行為が自己表現の形式としてではなく「ネタ」として消費される際の具体的なありようがうかがえるように思う。
改めて小石選手の「俳句」を見てみたい。まず高校時代の「二人きりいつも以上の心臓音」は無季定型である。「お~いお茶新俳句大賞」が始まったのは一九八九年。オフィシャルサイトではこのコンテストについて次のように説明している。
コンテストを開催するにあたり、「季語」などの俳句がもつ厳密なルールは問わないことにしました。季語がなくても、多少「字余り」「字足らず」であってもかまいません。厳密なルールにとらわれず、感じたこと、思ったことを五・七・五のリズムに乗せて自由に表現する独自の表現手法は「俳句」ならぬ「新俳句」です。
(http://www.itoen.co.jp/new-haiku/about/index.html)
募集要項には「テーマは自由です。自分で感じたこと、思ったことを季語や定型にこだわることなく、五・七・五のリズムにのせてのびのびと表現してください」とあるが、いまや日本最大級の応募総数を誇るこのコンテストは「俳句」ではなく「新俳句」のコンテストであったのだ。面白いのは、だからといって小石選手の作品を「俳句」でないなどと誰も思っていないし、ましてや「川柳」だとも思っていないということだ。また小石選手自身も自らの作品を「俳句」としてカテゴライズし語っているが、このようなことはとりたてて珍しいことではないだろう。考えてみれば僕たちはその日常において「俳句」をこのように曖昧にとらえているのであって、厳密な定義のもとに「俳句」を思考することの方がむしろ稀有なケースなのではないだろうか。
さらにいえばこの曖昧さとは、誰とどのような場で「俳句」について語るのかということによってたえず変わっていくような、流動的な性質を含むものとして考えるべきではなかろうか。たとえば、小石選手の作品が「俳句」であるのは、それを「俳句」であるとしたほうが記者やファンにとって面白いからであろう。極論すれば、小石選手の作品が「俳句」であるためには、必ずしもそれが「俳句」らしい外形をしている必要はない。それを「俳句」と名付け、同時に、それを「俳句」と名付けたときに立ち現われるある種の面白さを消費することこそが重要なのである。実際、「大勢のファンに囲まれ勇気出ていざ旅立ちの宮崎へ」という作品は、季語もなく定型でもないという点において、およそ一般的に考えられる「俳句」の外形からはほど遠いものであるが、だからといってこの作品が「俳句」であるか否かなどという議論が起こるとはとても思えない。しかしそのような議論など関係なく、これはまぎれもなく「俳句」たりうるのである。そしてこれがまぎれもなく「俳句」であるのは、これを「俳句」と名付けたほうが面白いだろうとするような、読み手の期待がそこに作用しているためであろう。「俳句」や作句という行為を「ネタ」として消費するというのは、たとえばこういうことである。
では、それらを「ネタ」として消費するときに現れる面白さとは何だろうか。「ネタ」としての作句行為について考えるとき思い浮かぶのは、よしだたくろうの「旅の宿」(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)の次の歌詞だ。
浴衣の君は尾花の簪
熱燗徳利の首つまんで
もういっぱいいかがなんて
みょうに色っぽいね
ぼくはぼくで胡坐をかいて
きみの頬と耳はまっかっか
あゝ風流だなんて
ひとつ俳句でもひねって
ここで、「ひとつ俳句でもひねって」としていることは重要である。一見不真面目なこうしたいいかたこそ、「俳句」を詠むという行為がどういうイメージをもつものであるのかを示唆しているように思う。この「旅の宿」はフォーク全盛期の一九七二年に発売された作品である。「浴衣の君は尾花の簪」などのいかにも古くさいフレーズが並ぶが、この歌詞は「あゝ風流だなんて」という一言が端的に示しているように、若者が自分たち以前の世代の価値観を揶揄しつつ受容するという、ねじれた感情の吐露ではなかったか。
そしてそのように考えるとき、この作品に描かれた「俳句」を「ひね」るという行為もまた、この種の歪さを伴わないでは受け入れがたいような行為の謂ではなかっただろうか。「ひとつ俳句でもひねって」という表現には、俳句を詠むという行為を嗤いつつ、その一方ではあえてその行為に自らの身体を投じることで自らの嗤うところの価値観を擬装して楽しむというような、意外に複雑な心理が垣間見えるように思う。思えば、今日において俳句を詠むということは、少なからずこうした心理を伴うものではなかろうか。「ネタ」としての作句行為のもつ面白さにはいわばこうした嗤いの感覚が底流しているような気がしてならない。
だが小石選手の「俳句」の「ネタ」としての面白さとはそれだけで説明できるものではない。ここでいま一度作品に立ち戻ってみると、とりたてて優れた表現とは思えないこれらの作品は、そもそもどうして注目されたのだろうか。コンテストに入選した高校時代の句は別として、「初志貫徹負けぬという気持ちで初勝利」をはじめとする小石選手の句はその表現自体が高く評価されているわけではないだろう。小石選手の句を読むうえで何より重要なのは、これらは「プロ野球選手なのに俳句コンテストの受賞歴がある」という経歴を持つドラフト二位のルーキーが、ファンに向けて直接発しているものだ、という文脈であろう。とくに表題句は楽天戦でプロ初勝利をあげた際のヒーローインタビューの最後に詠まれたものだったが、この一句が詠まれた背景には、初勝利をあげた際には俳句を詠む、というファンとの約束が前提としてあった。そのような場・そのような文脈において詠まれたのが「初志貫徹」の句なのであったとすれば、その句に表現としての巧さなどどうして必要だったろう。この句の面白さは表現そのものにあるのではなく、むしろ句を通じて文脈を共有するということのほうにこそあるのではないだろうか。