2015年7月18日

風鈴や眼鏡はづして空を見て

素十全集の文章編に入っている「自画自讃」という話が好きだ。

近所の市営住宅に一本の李の木が植えてある。素十はそれをいつもなつかしく思う。生家の小さな畑の前にも李が一本あった。青くて丸い実の中にいくつか赤いのが交じるのが美しかった。奥さんと二人のいまの家に李を植えようかと思うことがときどきある。けれどもいまの家にはもう二本の桃があって、新しく李を植えたら食べ余る。


随筆は最後に、句会にその李の句を出したエピソードを紹介して終わる。

いつかの句会の折
一本の李の苗の欲しかりし
という句が出来たのであった。
「李の苗が」とか「李の苗を欲しかりし」とかではなく李の苗のといったところが、私の心の中にあったいろいろな思いや映影と一致するように思えて、私はささやかなる欣びを覚えたのであった。

初出は「芹」の昭和43年2月号。

ここで素十が示した「李の苗が」「李の苗を欲しかりし」という二つの別案はとるに足らないもののように思われる。素十の文体であれば「が」という強い助詞を避けるのはこの句に限ったことではなかっただろうし、後者に至ってはただの誤用だ。「欲し」は「を」を取らない。しかし素十はことさらにこの二案を示したうえで〈一本の李の苗の欲しかりし〉という表現が自分の思いに即していることを喜ぶ。

おれにはこの〈欣び〉こそが表現をする行為の根源的な〈欣び〉であるような気がしてならない。だいたい自分の思っていることを自分の思ったとおりに表現するのは容易なことではない。感じたままに書けばいいんだよ、というと小学生に作文を書かせているようにも聞こえるが、自分の感受性のいちばん敏感なところが受け取った感動が簡単に言葉になってたまるか。花を見てどきっとしたその気持ちは文語でも口語でもない。文語でも口語でもないものをおれたちは正確に表現しなければならないのである。レトリックが必要だ。

樹下行けば夜気触るる春逝くらむか 原田種茅『径』

『径』は昭和25年に出た種茅の第一句集。二十一歳から五十二歳までの三十一年間の句を編年体で収める。この句はその二番目の句だから若書きである。木の下を歩いていたら、夜のひんやりとした空気に触れ、春の終わりを感じた、その微妙な気分を伝えるために種茅はどれだけの工夫をしたことか。「樹下行けば」「夜気触るる」はそれぞれあるべき助詞を省いて張りつめた空気を再現する。そこへ待ちきれなかったかのように中七の末から始まる「春逝くらむか」というフレーズ。「春逝く」とだけ言えばよそよそしいのである。いままさに春が終わろうとしているのではないか、と、そんな感じがする。「か」と疑問の形にしなければいけなかったのは断言できるほど明確な気持ちではないから。その微妙さを受け止めかねているのは、意味的には切れる前半部分が「夜気触るる」と連体形になって「春逝くらむか」に直接かかっているあたりのあいまいさからも分かる。なんと精緻なレトリックか。

素十の〈一本の李の苗の欲しかりし〉はいかにも素十らしいゆるやかな言葉で書かれていて、見るべき表現はここにはないかもしれない。がしかし彼が「私の心の中にあったいろいろな思いや映影と一致するように思え」たときの〈欣び〉を思えばおれは涙さえ出てくる。

〈一本の李の苗の欲しかりし〉がそのような〈欣び〉に裏打ちされた一句であることに切実さを感じる。その想像力は、レトリックの重要さを叫ぶことと相反しているようにも思える。この矛盾を知りながらいまおれは俳句を読んでいる。