2017年3月30日

桃咲いて辺りは剥離紙の昏さ

大体、2010年ごろから2016年くらいまで俳句の世間を避けていた。句会に出なくなり、俳句のイベントにも殆ど顔を出さなかった。仕事のことで悩んでいたのが主な理由で、しかし一度距離をとってしまうと、周りからどんどん取り残されていくように感じて、正直再起をかけようにも勢いが続かなかった。当時のブログを見ると毎年1月には数件更新があって頑張ろうとしているんだけど、2月3月からまた元に戻るというのを繰り返していた。
全然知らない若手が沢山出てきて、すごいというより、何を問題としているのか話題についていけなかった。それくらい鈍くなっていた。

当時、炎環への投句だけは何とか続けており、それくらいしか俳句との接点がなかった。このまま埋没するしかないのかなぁ。そうなると「火尖」という俳号は少し恥ずかしいなぁと詮ないことを考えるくらいに弱っていた。

そんな折、久留島元さんがブログにコメントをしてくれて、詳細を聞くと、彼の企画するKuru-Coleというアンソロジーを編むのに句を出してほしいという話だった。久留島さんとは会ったことはなかったが、存在は知っていて、私はこれがすごく嬉しくて、ぺしゃんこの風船に俄かに空気が入ったような気持ちになった。今のように積極的になるまでには、実はここからまだ数年かかるが、復帰のきっかけになった出来事だった。