山頭火よぎりしあとのしぐれかな
今回、はじめて丸谷才一(1925~2012)の小説『横しぐれ』を読んでみた。
講談社文芸文庫版のもので、ずっと書架に収めたまま、まだ目を通していなかったのである。
親本は、1975年に講談社より刊行されている。
一応、主人公は、国文学者である「わたし」ということになる。
その「わたし」の父と 国語の教授である「黒川先生」が、昔2人で四国に旅行へ行き、そこで出会った一風変わったお坊様が、もしかしたら山頭火だったのではないか、という推測を軸に物語は進んでゆく。
全体的に、山頭火論であると同時に、そこから日本文学論的な広がりを見せているところがある。
山頭火の作品に、「しぐれ」等の「雨」や「水音」、「湯」などといった水にまつわるものが多いという指摘がなかなか面白い。
また、山頭火の短さ(沈黙)への志向性についてふれている部分も、きわめて興味深いものがあった。
思えば、あの尾崎放哉(1885~1926)も同じく表現における「沈黙」への志向性を有していたのである。
物語は、最後のあたりとなり、急に転調することになるのであるが……。
「横しぐれ」は、私小説、フィクション、評伝、文学論が入り混じった、やや特殊な小説といえるであろう。