2013年10月6日

『俳句研究』『俳句空間』や天高し

俳句を書きはじめたのは、一体いつの頃であったろう。
確か20歳か21歳の頃だったはず。
元々小説や詩に興味を抱いていたわけであるが、以前にも述べたように、「短さ」に対して並々ならぬ関心を持っており、やがて短詩型へと赴く結果となった。

短詩型といえば、俳句のみならず短歌も含まれるわけであるが、短歌とはあまり相性がいいとはいえなかったようである。
いくつか感銘を受けた作品もあったが、歌集となると、初心者ゆえか、なかなか作品を読み解くことが難しく、容易には1冊を読み終えることはできなかった。
それとは反対に、句集の方は、はじめの頃こそいくらか苦心を伴ったものの、比較的容易に読む行為に馴れることができたという記憶がある。
いまから思えば、これはもしかしたら、単純に俳句形式における「言葉の少なさ」による部分が大きいのかもしれない。
俳句の場合、その短さゆえ内容もおぼえやすく、短歌と比べると言葉の関係性が単純でわかりやすい側面がある。
そういったところも含め、俳句と自分との間には、ある程度の関係性を見出すことができ、確かなひとつの「通路」が開かれているといった感覚を持つことができた。
そして、俳句への関心が増してゆくと同時に、次々と読みたいと思う作者が増えてゆく結果となった。
「取り敢えず、俳句をはじめてみようか。」と、思った記憶が残っている。

それから、目に止まった句を、ひたすらノートに書きつける日々がはじまった。
ボールペンが、何本も空になっていった。
俳句の資料を求めて、新刊書店や古書店、図書館へと足を運んだ。

当時、主に塚本邦雄、齋藤愼爾、小林恭二あたりの評論をたよりに、資料の探求を続けていたのであるが、そういった行為は、次第に昂じてゆき、やがて図書館での、句集の集成や評論集などの閲覧のみにとどまらず、総合誌である『俳句』や『俳句研究』、『俳句空間』などの創刊号から最新号に至るまで、延々と目を通すようになっていった(膨大な数ながら、興味のある文章や作品を拾い読みしているだけなので、実質的にはさほどの量ではないはず)。

これらの行為が、やがて「―俳句空間―豈weekly」での「俳人ファイル」やこの「spica」での「百句晶晶」へと繋がってゆくわけであるが、この時は、まだ単純に俳句を読む楽しみに浸っているだけで、やがて評論等といった文章を書く側の苦労や大変さを思い知ることになるとは、さほど考えてはいなかったはずである。