2012年5月31日

おどろくや死後も正午もさやうなら

赤い新撰 編集日記(21)

実は、5月は35日まであると思っていたのだが、「スピカ」は今の暦では5月は31日までしかないからこれで最終回にしたいという。少し融通を利かせてもいいんじゃないか、ワタシの国の暦法では1ト月が29日であったり30日であったり、1年が12月まであったり13月まであったり、まことに融通に富んでいるのだ、「スピカ」も題を「5月の35日間」に認めたのだし、35日まで増やしたっていいじゃないかといったのだが若い女子は頑固である。

しょうがない、ずるいが、あと4日分を31日の記事に繰り上げて載せることとする。

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(当初31日掲載予定だった分)

赤い新撰 編集日記

4月24日、「スピカ」に原稿を送る。御中虫との連絡困難に。

29日、御中虫の盟友関悦史が第3回田中裕明賞を受賞。慶祝。

5月4日、「詩客」の『俳コレ』書評、筑紫磐井が「超戦後俳句史を読む 序説⑨」で<関悦史と御中虫>。

 

(当初32日掲載予定だった分)

赤い新撰 編集日記

5月5日、西村麒麟(N氏)の連載御中虫俳句鑑賞、第1回分届く。その後2分すると第2回分が届く。御中虫のはじめのやりとりを思い出す。頭がクラクラする。N氏、自分のブログのためにキリンの句を作れという、頭がクラクラする。N氏、連載第1回分に序文を書けという。頭がクラクラする。

 

(当初33日掲載予定だった分)

赤い新撰 編集日記

5月11日

「詩客」の『俳コレ』書評、赤い新撰「このあたしをさしおいた100句」が最終回掲載。今回はお引っ越し特集号。「超戦後俳句史を読む 序説――『新撰』世代の時代」最終回やら「赤い新撰(本編)の予告」やら。

http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-05-11-8588.html

http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-05-11-8591.html

「スピカ」の「5月の35日間」で「赤い新撰 編集日記」を連載開始。

 

(当初34日掲載予定だった分)

赤い新撰 編集日記

5月18日

「詩客」の<戦後俳句を読む>で御中虫待望だった「赤い新撰」本編(四ッ谷龍選・評)が掲載。

http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/cho_sengohaiku/2012-05-18-8737.html

http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/cho_sengohaiku/2012-05-18-8753.html

22日、スピカの5月20日付記事に四ッ谷氏より異議。「筑紫氏に「四ッ谷氏も御中虫病が伝染か」と書かれたけど、2月下旬から4月末までは田中裕明賞に神経集中しているから、あまり他の仕事にだらだら時間をかけるわけにはいかないのだよな。」

25日、西村麒麟氏の「麒麟から御中虫への手紙だよ」一通目「ハロー、虫さん」掲載。

http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/cho_sengohaiku/2012-05-25-8968.html

 

(当初35日掲載予定だった分)

赤い新撰 編集日記

31日、「スピカ」の「赤い新撰 編集日記」掲載終了。以上全てリアルタイムの日記。振り返って、私が会ってから最も感動的だった御中虫の言葉を引く。

 

「別に今まで嘘っぱちな人生を送ってきたわけではないが、いろんな不満とか恨みとか怒りがあたしの主な原動力だったのは事実。そういうのにいきなり醒めてしまった。たぶんこれからどんどんあたしは平凡になり地味になるな。つまんねーだろなと思いながらわくわくしている。」

 

いつの日までか、さようなら御中虫。

5月35日(予言)

この日までに出ているかどうか分からないが、「豈」53号に御中虫作品12句掲載。また「俳句界」の第3回北斗賞(5月末締め切り)に応募し発表の年末には受賞して俳壇全体が「御中虫!」「御中虫!」と沸き立っていることだろう、エビータみたいに。しかし、当の受賞者御中虫は失踪したまま。その頃、亡命先?のエチオピアのオアシスの葉陰で静かに兎と昼食を摘んでいるはずである。

 

最後にこの日にふさわしい格言を(本当は俳句を詠みたいのだが、スピカ編集部の規則で1日1句と決まっているのでもう載せられない、ということで)。

「驚くべき奇跡は、驚かない人間によってのみ行われる。」(『5月35日』より)