2011年10月27日

雲後雲湧く決して思惟されない論理

人間の論理は大概理解可能な論理だとすれば、決して思惟されることのない論理を思考することはできないか。
世界の終わりがあるとすれば、それは世界の論理が思惟されなくなるときだろう。仮に人間が地上からだれもいなくなったとしても、人間の世界の論理の思考があるのであれば、世界は存続していることになる。意識を持つ海を主人公にした物語を読んだことがあって、その海の論理はやはりどうにも理解できないものだったと記憶している。それ以来、雲を見ていると雲そのものが論理を持ちはじめるように見えるときがあって、自分の思考が止まってしまう。だから雲の句がいつもできる。