2013年7月29日

keyhole

you shall blossom

before long

意訳:鍵穴のやがてあなたは花ひらく

原句では「花」に相当する語彙(例えばflower)を用いていないが、blossom(開花、咲くの意)という語彙で暗示している。そう、今回の食材は「花」である。食用菊などが有名だが、最近はエディブル・フラワー(edible flower。食べる花の意)なる語彙が浸透し始めており、わが国でも様々な花が食用に供せられている。エディブル・フラワーは無毒ならいかなる花でも利用できるが、通常は、香辛料・ハーブ類及びブロッコリー、カリフラワー等の野菜として食用にされるものはエディブル・フラワーに含まれない。日本の場合は前述の食用菊の他にも、蕗の薹、菜の花、桜の花(の塩漬け)が伝統的なエディブル・フラワー。いずれもわが国では季語。欧米では主にサラダや人目をひくための宴会料理で使用されており、雛菊、ペチュニア、金魚草、金蓮花、石竹、サイネリア、パンジー、薔薇、ラヴェンダー、菫、ミニ向日葵をはじめ、様々な花が使われる。あのルイ十四世も菫の花を使ったドレッシングをサラダに振りかけていた。中国では金木犀や薔薇を菓子に使ったり、韮や金針菜の蕾を炒め物等に用いたりしている。東南アジアにはバナナの花を食べる国もあるらしい。

今回の「花」は、連載上では(食材であるという制約から)植物の花を指すが、掲句自体での「花」は広く解釈していただいて構わない。日本では白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君」の「花」を最も重大な季題として和歌や俳諧に取り入れてきて(平安前期までは白梅、後に桜)、西行、世阿弥、芭蕉等は「花」を概念化し、『花伝書』や芭蕉の「見るところ、花にあらずといふことなし」に代表される美学、哲学にまで昇華させた(小澤實に芭蕉の本歌取りをした「翁に問ふプルトニウムは花なりやと」という句がある)。短歌の場合は未だに(漠然と)「花」とだけ言えば桜と解釈するのが普通。だが、本場の中国では「花」と言っただけでは誰も梅だと解釈しない。俳諧でも、元々は「花」とさえ言えば桜と解釈するのが普通であったが、この季題が衰えてきたこともあり、桜以外の花との混同を避けるために、あきらかに桜である花を指す季題(花の雨、花篝、花吹雪等)以外を使わずに、桜をただ「花」とだけ言う事を禁じている結社もあると聞く。掲句はそもそも英語なので、桜や梅と云った概念に縛られないで、人体や心理を含めたありとあらゆる花を想起していただければ、作者として幸いである。keyhole(鍵穴)の解釈も同様である。

技術面では、まずまずの成功。原句は子音韻と母音韻を使いながら、計9音で収めることができた。和訳の方は何故か五七五にぴったり収まった。唯一残念なのはbefore longが「やがて」という意味以外に持つニュアンス(beforeとlongで鍵と鍵穴の時空的な関係を暗示)をうまく訳せなかった事。多少は努力し、「鍵穴のあなたはやがて花ひらく」にせず、「鍵穴のやがてあなたは花ひらく」として切れを強めてみたが。

ちなみに、作者が大好物のエディブル・フラワー料理は、「ピエール・エルメ・パリ」及び「ラデュレ」の「イスパハン」と「デメル」及び「ゲルストナー」の「スミレの砂糖漬け」二つの菓子。前者の「イスパハン」は、薔薇の香りのマカロンとクリームをベースに、フランボワーズ(場合によってはラズベリー)とライチを挟み込み、上に薔薇の花びらをあしらったマカロン菓子である。豪華かつ美味。「イスパハン」はダマスクローズの一種でピンクの薔薇の名前。後者の「スミレの砂糖漬け」は、7月1日にも書いたが、文字通り、菫の花を砂糖漬にしたもの。ハプスブルグ家最後のオーストリア皇妃、シシィことエリザベートが愛したとされる。菓子箱も綺麗だし、一片ずつ砂糖漬にされている菫は儚くて美しい。いずれも茶請に出せば、最高のティーパーティーになること請け合い。