異空間の俳句たち編集委員会編『異空間の俳句たち』(海曜社、一九九九)の一句。同編集委員会代表の西村都には句集『帽子で笑う』もあるが、西村を含め巻末の座談会に参加している向井孝、水田ふう、稲生節の肩書がそれぞれジャーナリストや市民運動家等となっているように、むしろ俳句になじみのない人々から提示されたのがこの句集であった。同書に付された四〇冊余りの「参考・引用文献」のほとんどが死刑に関するルポルタージュの類であるのも句集としては異様であろう(なお都築響一『夜露死苦現代詩』(ちくま文庫、二〇一〇)に紹介記事のほか西村らへのインタビューなども掲載され、この句集を理解するうえで極めて重要であるが、『夜露死苦現代詩』については改めて別稿で触れようと思う)。
句集全体は「孤独」「絆 母 ふるさと」「わが罪」「生きる」「別れ」の五つの章に分けられ、座談会での西村の言によれば「この句集には昭和二十年代から平成の現在まで、去年(一九九八年)の十一月に処刑された備洲の句を含めて七十六句」のほか、「現在「死刑確定中」の将司(大道寺将司)を含め、いま拘置所にいる方たちの句」も収録されている。また「初めて俳句に接する若い人々のため」各句は三行形式で掲載され、語注や鑑賞文も付されている。同書刊行の「熱源」となったのは一九七五年に冤罪を訴えながらも死刑の執行された西武雄の句「叫びたし寒満月の割れるほど」であったという。さまざまな死刑囚の句を紹介することで、読者に死刑制度についての認識を深めてもらおうというのが刊行のねらいのひとつであったようだ。
ところでこの「叫びたし寒満月の割れるほど」の表現について考えてみると、自らの「叫びたし」という思いについてそれが冷たく張りつめたような「寒満月」が「割れるほど」であると形容するのは、「割れるほど」という着地点は「寒満月」との語のイメージから安易に引き出されたそれに思われるし、また「叫びたし」に対しても説明的にすぎるように思われる。この句は表現手法も表現内容も陳腐であり、その意味では、俳句表現としてはあえてとりあげるには値しないのである。しかし、向井はこの句について「えん罪(無罪)で死刑になった西武雄の句こそ、ボクは死刑囚の俳句を代表するものやないかと思う」とし、「この句の「叫び」をこえたものを、ボクはほかにはよう見いださん」という。さらに向井がこう述べたあと、座談会の「一同」は「しばし沈黙」してしまう。ようするに彼らは「西武雄」の名とともにこの句に対峙しているのである。この句は、このように表現したという行為それ自体を評価すべきなのであって、その表現行為の切実さにこそ彼らは「沈黙」したのであろう。だがこの種の感銘は、ときにあまりにも不用意な賞賛へとつながる。たとえば和之の句「綱よごすまじく首拭く寒の水」の鑑賞文にはつぎのように書かれている。
作者が残した二枚の色紙。その一枚が「布団たたみ/雑巾しぼり/別れとす」。もう一枚がこれである。色紙を手渡された係官は「もうこれは人間ワザではない。神様に近い存在だ」と感じ、「手の震えが止まらなかった」という。執行の瞬間、立ち会った全員が、夢中で「南無阿弥陀仏」を唱和していたとも。
こうした白痴的な身ぶりは、この句への批評を許す余地をほとんど持たないという点において、あまりに悲惨なものであるように思われる。そして座談会の参加者たち自身もまた、この種の不用意さについて次のように述べている。
進行(西村) 「綱/よごすまじく」の句に対して、宗教者の釈悟忍は「なんと研ぎ澄まされた心境なのか、これは常人には到達しえない達人のうた。作者の和之は、すでに『大悟』している」という見方をされています。
向井 そういう見方もあるやろう。しかし、死を前にして「悟り」の心境にあった死刑囚がいるとか、いたとか。そんな「宗教的」な見地からの解釈には納得しかねる。処刑の場で、実際に死刑囚はどうであったのか。「綱/よごすまじく」の句に「悟り」の心境を読むこともできるやろう。しかし…。
稲尾 ある死刑囚は死刑の残酷さを伝えるため「処刑の時は徹底的に暴れる」「死体を解剖した医官によって、どれほど自分が処刑に抵抗したかが分かるだろう」と宣言した。九五年六月のことです。しかし執行の時、係官の数が増え、一人ではとうてい抵抗しきれないことを知って、やむなく家族や友人への「伝言」を書くことで抵抗を放棄した。そんな事実もあります。
ふう ひとりで抵抗なんてしょせん出来ない。がんじがらめの状態に押し込めれているのやもの。
向井 死刑囚の辞世の句がどのようなものであれ「悟って」きっぱりと死を受け入れた、という見方を強調することだけは承服しかねる。「悟った」かのごとき詩を詠んだ、その一瞬の後に、何としても生きてやるぞ、という、まったく別の詩を詠むこともする。それが人間じゃないか。
僕はこうした批判を肯定すべきものだと思うが、一方で、釈悟忍が和之の句から「悟り」を見出したことについても「それが人間じゃないか」と思う。ようするに僕には、この句から「悟り」を見出そうが見出すまいが、結局のところこの句と読み手との間に生じる奇妙な現象の本質とはあまり関係がないように思われるのだ。僕にとって重要なことは両者がこの句について、それが「和之の句」であり「死刑囚の句」という前提を共有しつつ読んでいるという自らの行為を疑っていないということだ。そしてまた、これが「和之」の名のもとに書かれ読まれることを否定するのならば、それは僕たちの書く行為や読む行為のもっとも切実な部分を隠蔽しているように思われてならないのである。
先頃全句集『棺一基』が刊行された大道寺将司にせよ、雑誌『ジャム・セッション』における江里昭彦と中川智正にせよ、僕たちは彼らの営みから俳句表現だけではないものを見出だしてしまう。僕たちは彼らの書くという営みを含めて彼らの表現を読もうとするし、たとえば中川智正の現在を引き受けようとする江里の志とは、そのような視点から見えてくるものであろう。かつての第二芸術論が僕にとってときにむなしいものに感じられるのは、桑原武夫が俳句作品を作者の名前と切り離し、名前がなければ区別がつかないという当たり前のことをいい、それがあたかも俳句否定の材料になりうるかのような書きかたをしているためだ。しかしそもそも、僕たちの営みなどその程度の材料をもって簡単に否定できる程度のものではなかったか。僕たちの書くという行為は、僕たちの名を冠さずに書けるほど大仰なものでもなければ強いものでもない。そして、それゆえに僕たちにとってかろうじて切実なものとなりうるのである。逆にいえば、自分の名を冠さずに書ける程度のことなどしょせんその程度のことにすぎない。その意味では、僕にとって第二芸術論の功績とは、僕たちの表現行為がしょせん名前がなければ区別のつかない程度のものだということを再認識させてくれたことであり、そして皮肉にも、そのように否定された場所にとどまりながらそれでも書く行為や読む行為をたちあげるとき、そこに切実さが宿ることがあるのだと教えてくれたことであった。