【22】見上げれば ガレキの上に こいのぼり     原泉美

小野智美編『女川一中生の句  あの日から』(羽鳥書店、二〇一二)の一句。本書は東日本大震災で被災した宮城県女川町にある町立女川第一中学校において実施された俳句の授業から生まれた作品を紹介したものである。被災してまもなく女川第一中学校で行われた俳句の授業について本書には次のように記されている。

 女川第一中学校の全学年で国語の時間に実施。東日本大震災後、懸命に文具支援を呼びかける社会科の阿部一彦教諭の姿勢に打たれた財団法人「日本宇宙フォーラム」の山中勉氏が俳句づくりを提案。初回は5月、2回目は11月に行われた。国語の佐藤敏郎教諭と石川雄章教諭らが「自由に考えて、ノートにあれこれと書きだし、自分のイメージとぴったり合う言葉、構成を探して」と指導。毎回、山中氏も来校して支援する。12年5月も実施。今後も続ける方針だ。

この句集を手にしたときの最初の感想を正直に書けば、それは、恐怖に近いものであった。すなわち、この句集で感動しなければ、何か人間として間違っているというような、―もちろん書き手の全く意図しないところの―そうした強迫にも似た何ものかへの怯えであった。こうした得体のしれない怯えを感じることはときどきあるが、しかしながらこの怯えはまた、たとえば俳句甲子園を観ているときに感じるそれとも異なるものであった。
いったい、俳句甲子園というパッケージの恐ろしいところは、そこに参加している書き手の書く行為そのものを批判してはならないという印象を伴っている点にある(あるいは、読み手の読む行為そのものを批判してはならないという印象を伴っている点にある)。それは、なにより参加者である高校生たちが一生懸命に努力して書き、読んでいるからである。しかし一生懸命さや努力の多寡に比例するのは技術の巧拙であって、書く行為や読む行為の持つ切実さや尊さは必ずしも比例するものではないのに、そのあたりを混同しているところにこの恐ろしさの要因のひとつがあるような気がする。
じっさい俳句甲子園は高校生の一生懸命さや努力の程度とともに語られやすいし、同時に、高校生の一生懸命さや努力を批判することはできないというような倫理的な歯止めもあって、結果的に、書く行為や読む行為そのものへの根本的な問いを見失いやすい場になってしまっているように思われる。これは個人的な印象でもあるけれど、たとえば、自分の書くものは他者にはついに読むことのできないものであり、他者の書くものもまた自分の読むことのできないものであるというような諦念を前提とした創作や鑑賞は、俳句甲子園においては評価されにくいと思う。だが、それはまさに、俳句の創作力と鑑賞力を競うという俳句甲子園の性質上、やむをえないことでもあるのだ。俳句甲子園においては、どこまでも他者を理解しようと努めその理解の程度を示すということが鑑賞するということであり、あるいは、他者の存在を前提とした創作を行うということが創作するということだからである。だから結局、他者を無視した書く行為や読む行為はひとりよがりのものにすぎないということになる。けれど、少なくとも僕は、そもそも他者の俳句を僕が読めるはずもないし僕の俳句もまた他者に伝わるはずもないのだという前提があって、その前提に対峙しながら、それでも書くことや読むことを選んだときに、その書くという行為や読むという行為が、その都度その人を書き手や読み手にするのだと思う。
前置きが長くなったが、本書で紹介されている句をいくつか挙げてみよう。

あの時に 見た光景は 忘れない                     佐藤亮太

キラキラと 輝く海が 好きなんです                   神田七海

ありがとう 今度は私が 頑張るね                    鈴木美岬

聞いちゃった 育った家を こわす日を                  阿部志保

窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町                   木村凌華

編者の小野智美はこうした句を紹介するだけでなく佐藤教諭の授業や子どもたちへの取材をもとにそれぞれの句に込められた思いや背景を記している。たとえば佐藤あかりの句「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」については次のように書く。

 「思っていることをそのまま書いていいよ」と佐藤敏郎教諭に言われた。周囲の声が耳元に届く。「復興」。前向きな言葉が聞こえてきた。私も元気が出るようなことを書こうかなと思ったが、心の中を占めていたのは母のこと。(略)
 「会いたい」
 その思いだけが募ってきた。お母さんに会いたい。じっち(祖父)に会いたい。ばっぱ(祖母)に会いたい。お父さんにはたまにしか会えない。それも寂しかった。でも「会いたい」だけでは伝わらないかな。「会いたくて  でも会えなくて  会いたくて」。もっと強調しよう。そう思って漢字を変えた。これが今の気持ちだ。翌日、その1句を提出した。
 伝えたいと思った。学校では明るく振る舞っていた。「落ち込んでいるんだな」と知られたくなかった。「会いたい」という気持ちは、あまり口にしたことはない。それまで言えなかったことを、俳句を通じて伝えられたら、少しはすっきりするかな、と思った。

このような書く行為や、この句を読む行為についてあれこれと批判するのは間違っている。それは道徳的に間違っているのであって、だから本当は口を噤むべきなのであろう。でも僕はこれらの句を前にして、やはり僕はこの句を読むことができないのだという諦念を深くする。というよりも、この句はその諦念によってこそ輝きを増すものであるようにさえ思われるのである。いったい、この句について、理解したとか共感したなど言ってよいものなのだろうか。僕はそのような言葉こそ噤むべきものなのだと思う。そして同時に、こうした句を書く行為の尊さは、そのような他者の理解や共感のおよそおよびもつかないような場所から、それでも書いていったということにこそあったのだと思う。
女川一中の生徒たちの俳句はNHKラジオ国際放送で伝えられ、世界中から励ましの死が送られてきたという。そうした詩に対して「生徒たちは、自らの思いを重ねて、その詩を七七の句に作り直し、返礼として送った」ということだが、本書には最初にラジオで伝えられた句「見上げれば  ガレキの上に  こいのぼり」(原泉美)をめぐる次のような交感についても記されている。

 町中、がれきしかないような光景だった。だが、そこには自分たち家族も含め、人々の暮らしの記憶が詰まっている。
 家族と車で出かけた時だ。町の高台をのぼり、女川港が視界に入った。目を見開いた。岸壁のそばに町の観光物産施設「マリンパル女川」が立つ。津波をかぶって廃屋となったその建物の上に、こいのぼりが掲げられていた。
 俳句の授業でその姿を思い出し、「泳いでる  ガレキの上に  こいのぼり」と詠んでみた。こいのぼりに「泳いでる」は余計だな。また考えた。
 「見上げれば」が浮かんだ。「復興」を自分なりに表現するのなら、「上を向いて生きよう」。これだ。すっきりした。(略)
 第一句の作者、原さんが選んだのは、中国から届いた詩だ。
 《涙をふいて笑ってください  美しい故郷をもう一度建て直しましょう  桜はまた咲くから》
 原さんは自分の思いが通じたと感じた。こんな第二句に詠み直した。
 涙の先に 新しいいのち

このやりとりはとても美しいものであるように思われる。けれど、このやりとりが美しいのは、「自分の思いが通じた」からではない。「原さんは」「自分の思いが通じたと感じた」からであろう。そもそもこのやりとりは、見方によっては、かなり傲慢なものである。誰かの詠んだ俳句を理解して詩をつくり、その詩をまた別の誰かが理解して七七を詠むという一連の営みは、ある種の疎外を無視してこそ成立する。換言すれば、自分が他者の書くものを理解したという思い込みこそがこの営みを駆動させているのであり、このような場においては、その作品を理解できないのではないかという可能性は遠くへと追いやれてしまう。しかしここで重要なことは、実はそのような思い込みに自らを賭していく姿こそ美しいのだということである。いわば、書く行為や読む行為が本来的に含んでいるはずの諦念の表情を、遠くへ遠くへと押しやろうとする、その必死の手つきや目つきこそがこのやりとりを美しいものにしているのではないだろうか。