渡辺孝『ミツバチの文学誌』(筑摩書房、一九九七)の一句。本書はミツバチと人間とのかかわりを文学作品を通じて探ろうとしたものである。著者の渡辺孝は近代養蜂の草分け的存在であった渡辺寛を父に持ち、自身もまた養蜂を生業としているが、『近代養蜂』(寛との共著)、『ミツバチの文化史』など蜂に関わる著作のほか「美濃路燃ゆ」などの小説執筆や「実践理性批判」の訳を手がけるなど異色の経歴の持ち主である。
さて、蜂の詠み込まれた句といえば山口誓子の「かりかりと蟷螂蜂の貌を食む」が夙に知られるところであろうが、これはむしろ蜂を食む蟷螂を詠んだものであって、蜂の句とは言い難い。むしろ本書で「たいていの歳時記に載っている有名な句」として紹介されている「蜂の尻ふわふわと針をさめけり」(川端茅舎)のほうが適切であろうか。
ちなみに、渡辺は「はっきり養蜂家の作とわかる」句として、一九三〇年の『ホトトギス』に掲載された次の句を紹介している。
蜜蜂の分封ちかきゆききかな 浜口今夜
蜜採るや蜂の機嫌にさからはず 同
蜂の国二人の女王出来にけり 同
渡辺はこれらの句について「いずれも新潟の浜口今夜という俳人の句であるが、どういう人かその経歴をつまびらかにしない」としているが、浜口今夜といえば新興俳句運動の端緒となった秋桜子の「自然の真と文芸上の真」におおいに関係のある人物である。虚子が「厳密なる意味に於ける写生と云ふ言葉はこの素十君の句の如きに当て嵌まるべきものと思ふ」と述べて秋桜子に対する素十の優越を説いた「秋桜子と素十」が『ホトトギス』に掲載されたのは一九二八年一一月のことであった。その三年後、「句修業漫談(三)」なる記事が掲載されたとき、その副題として同じく「秋桜子と素十」というタイトルが用いられている(『ホトトギス』一九三一・三)。この「句修業漫談(三)」は先の虚子の文章を受けて素十の句を好意的に評価したものであったが、これについては秋桜子が後年次のように回想している。
私は「秋桜子と素十」を読んであまりの無理解に腹がたったから、反駁文を書かうと思ったが、事は地方雑誌「まはぎ」に起ったものであり、且つみづほは東大俳句会の先輩でもあることを考へて我慢してしまったけど、「句修業漫談」がホトトギスに連載され、この一項もまた載ることになれば私はホトトギスを去るか、或は馬酔木誌上に駁論を書くか、とる道は二つの他にないと思った。
秋桜子のいう「駁論」こそ「自然の真と文芸上の真」である。秋桜子はこの回想のなかで「句修業漫談(三)」が『まはぎ』という地方雑誌の記事からの転載であった旨を記しているが、この『まはぎ』を一九二九年に創刊した人物こそ、当時新潟医科大学で教鞭を執っていた中田みづほと浜口今夜であった。のみならず、この「句修業漫談(三)」はみづほと今夜の対談記事であって、今夜は知られざる俳人どころか、「自然の真と文芸上の真」執筆のきっかけのひとつをつくった俳人だったのである。なお『まはぎ』には先の新潟医科大学に赴任してきた高野素十が一九三五年に参加し、素十、みづほ、今夜は越後の三羽鴉と呼ばれるようになる。一九四三年に今夜が亡くなった際に虚子が詠んだ追悼句「三羽居し春の鴉の一羽居ず」は、そのあたりの事情をふまえたものであったのだろう。ちなみに新潟市の瑞光寺にはこの句を刻んだ句碑が建立されている。そういえば今夜存命中の新潟には、一九二七年にブラジルに移住しブラジル俳句界の中心的存在となった佐藤念腹もいたのである。念腹は『ホトトギス』の門人で渡伯の際「畑打って俳諧国を拓くべし」の一句を虚子から送られている。当時の新潟は『ホトトギス』の有力俳人の集っていた場であったのだ。
今夜に養蜂経験があるかどうかはわからないが、少なくとも医科大の教員であり養蜂を生業としていなかったであろうとは考えられる。とすれば、先の句は養蜂の様子を実際に見たうえでの作ということになろうか。
もっとも、養蜂家でなければ蜂の生態を的確にとらえられないというわけではなく、本書には養蜂家以上に蜂の生態を的確にとらえた短歌も紹介されている。
朝寒ともひつつ時の移ろへば蕎麦の小花に来ゐる蜂あり 斎藤茂吉
この歌について渡辺は次のように述べている。
これは表面的に見れば、そばの花に働くミツバチをうたったにすぎないが、もう一つ、そばは朝のうちにしか蜜を出さないという事実が的確によみこまれている。おそらく茂吉自身はそういう事実は知らなかったかもしれないが、大歌人の詩眼はそういう事実までうつし出すことがある。
あるいはまた、「くもりたる四辺を聞けば向日葵の花心にうなる山蜂のおと」(中村憲吉)についても次のように述べている。
山蜂はもちろん山に野生する日本蜂のことである。ヒマワリはアメリカやヨーロッパでは有力な蜜源植物になっているが、日本では栽培が少ないせいもあって、養蜂家でもヒマワリが流蜜(蜜を分泌すること)することを知らない人が少なくない。憲吉は養蜂の門外漢だが、ちゃんとこの事実を正確によみ込んでいる。
興味深いのは、こうしたミツバチ詠について渡辺が、アララギ派の歌人にミツバチ詠が見られるのに対し「アララギ以外、とくに新詩社系となるとほとんどミツバチには関心を示さない」と述べている点である。渡辺はまたその理由について「これはこのグループの基調がアララギ的なリアリズムとは正反対のロマンチシズムであり、もっぱら恋愛や生活に関心が集中し、自然の世界にはほとんど無関心だったからであろう」としている。文学的志向とミツバチへの関心との相関関係は小説にも見られるらしく、渡辺は次のように述べている。
ミツバチといえば当然農村の風物の一コマだから、好んで農村をえがいた自然主義系統の作家たち、たとえば田山花袋、徳田秋声、島崎藤村等の作品に登場するはずだが、それが案外そうではない。むしろ自然主義に批判的な立場をとった森鷗外や夏目漱石の作品にミツバチが登場するのである。
渡辺によれば、これはミツバチがもともと好事家の飼育する昆虫であって大正・昭和に入ってようやく一部の農村で定着したにすぎなかったためであり、その一方でミツバチが盛んに登場する欧米の文学作品に強く影響を受けた鷗外や漱石が作品にミツバチを登場させているのは自然なことであるという。このように文学的志向が詠み手のまなざしにミツバチを呼び寄せることがあるのだとすれば、秋桜子を批判し素十を高く評価した今夜に巧みなミツバチ詠があるという事実はどこか示唆的なものに思われてもくる。