【40】鯖の旬即ちこれを食ひにけり     高浜虚子

 田村勇『サバの文化誌』(雄山閣、二〇〇二)の一句。その名の通り、鯖の食文化や鯖にまつわる習俗、さまざまな伝承、鯖の生態などについて記したのが本書である。俳句において「鯖」が夏の季語とされ、あるいは秋の季語に「秋鯖」があるように、鯖はこれまで幾度となく俳句に詠まれてきた。本書でもそうした鯖の俳句がいくつか紹介されているが、鯖についての専門的な知識から句を評していて興味深い。たとえば「ごたごたと浜がせまくて鯖漁旗」(野村五松)については次のように記されている。

 野村五松の記名のあるこの句は大漁旗をなびかせて次から次へと入港するサバ船を詠んだものと思われるが、これが「港」なら網船の入港となるが、「浜」の表記となっていることからすると、やはり、サバ釣り船とおもわれるが「鯖漁旗」が大漁旗とすると、サバ釣り船の乗組みは多くて四・五人だったので大漁旗をあげる習俗があったかどうかが疑問となる。また、伊勢・志摩周辺の信仰圏ならば青峰山の正福寺の赤い旗。山形県の鶴岡周辺の信仰圏なら善宝寺の赤い旗を船の艫につけているけれど、これを「鯖漁旗」とはいいがたい。

さて、いわゆる大衆魚のひとつとしても知られる鯖だが、近年そのイメージが変化しているらしい。鯖は古くから日本各地の食文化のなかに根付いてきた魚であるが、本書によればそもそも鯖、とりわけマサバ(ヒラサバ)が大衆魚の代表格といわれるようになったのは「戦後の食糧事情の悪かった時期に相応している」といい、また「サバの魚体がほかの大衆魚といわれるイワシやアジなどに比べてとくに大きく、そして、棒受網や巾着網などによって大量の漁獲があったことと大いに関わっている」という。たとえば、鯖以前に大衆魚として認識されていた魚のひとつにボラがあったが、ボラ漁は魚の動きを見て漁をする技術が必要なだけでなく大量の人員を必要とするため、戦後においては機械産業への労働力の流出もあって漁の継続が困難となったのだという。その一方で網漁の発達により大量の漁獲が可能となった鯖は大衆魚の代表格となったのである。だが、田村はまた次のようにも述べている。

しかし、さらなる漁獲技術や船舶の大型化や高速化などによって漁業資源が乏しくなっていき、サバ漁も不漁の時期を迎えるようになる。
 このようにして、冷凍技術が進むようになった昭和四十年以降は、漁獲の安定したサンマにその地位を譲り渡さざるを得ない窮地に立たされるようになった。また、昨今は、冷凍技術によってサバの価格も商社の流通商品の一つとして扱われるようになり、サバの価格は操作され、安定した価格でそのまま推移している。それとともに生サバの価格は高騰し、サバはもはや大衆魚といえなくなったのである。

こうした状況であるにもかかわらず、今日において鯖が身近な食材であるとすれば、それはマサバではなくいわゆるタイセイヨウサバの普及によるものであろう。本書には平成十二年度版の『水産統計』をもとにした昭和三一年から平成一二年までの鯖の漁獲高グラフが記載されているが、それによれば一九七八年の一六〇〇トンがピークで、以降低迷し二〇〇〇年には四〇〇トンに満たない程度にまで落ち込んでいる。このような不漁の一方で、ノルウェー産を中心としたタイセイヨウサバが流通するようになっていったのである。とすれば、同じ鯖の句でも、時代によってそこに詠まれている鯖が違うということは十分に考えられる。たとえば草間時彦の「秋鯖や上司罵るために酔ふ」の場合はどうだろうか。この句は一九六五年に上梓された句集『中年』において「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」などとともにいわゆる「サラリーマン俳句」のひとつとして知られている。とすればこの「鯖」は、一九八〇年代に輸入が始まり九〇年代以降に急速に普及するタイセイヨウサバではあるまい。また『中年』は一九五〇年以降の作品を収めているが、これが戦後において鯖が大衆魚の代表格としてイメージされるようになった時期と一致しているのは興味深い。草間のこの句の「鯖」はことによるとサラリーマンの悲哀が想起される「上司罵るために酔ふ」の部分と「つきすぎ」の感すらあるが、それは今日の目で見るからそう思うのであって、この句が発表された当時に立ち戻ってみると、鯖が大衆魚の代表と見られるようになったのが戦後のことであるとすれば、この句の発表当時は、戦後のサラリーマンのありようを詠むときに戦後の新しい大衆魚としての鯖を取り合わせたという意味において実は斬新な句だったのではないかとも想像できるのである。さらにいえば、この時期の鯖の流通事情について田村が次のように記していることを考え合わせると、また違った読みも可能であろう。

戦後二十年代後半の経済成長の時代にいち早く冷凍工場を作ったのが水産業者であった。(略)瞬間高速冷凍で生のままの保存が可能となると何にもましてその価値は高くなる。戦後の三十年代には冷凍業者がイカ、サンマ、サバ、イワシの価格相場を独占する姿をまざまざと目に見てとることができた。

草間の句の「鯖」もまた、このような事情のもとに皿の上へと運ばれた鯖であったろう。むろん「上司罵るために酔ふ」者がそれを気にするはずもないが、それを気にしないことをもって、状況への不満を吐露しつつも実は見事に状況に適応している誠実なサラリーマンの姿が見えてくるのである。
さて、表題句に話を移そう。「鯖の旬即ちこれを食ひにけり」(高浜虚子)について、田村は次のように記している。

 鯖の旬といえば大衆魚として君臨してきたサバのあの脂の乗り切った味わいを「即ち」と言うことばに込めている。塩干しの大きな焼サバを程よく切りわけたその一切れであるのかも知れない。あるいは味噌煮の一切れでもいいし浜焼きのサバをむしって食べたということも想像できるが、やはり名高い能登鯖の焼いてすぐのまだあつあつのものを食べたときの触感を句にしたためたものととらえたい。

この句について補足すると、この句は虚子の句集『五百五十句』の「昭和十二年」の章に収録されている句で、句の脇には「五月十四日 草樹会。丸ビル集会室」とある。したがって、ここでいう「鯖の旬」とは秋ではなく春から初夏にかけての鯖の旬のことを指すのだろう。もっとも「鯖」自体は夏の季語であり、虚子もこの句を「麦の穂の出揃ふ頃のすがすがし」「此宿はのぞく日輪さへも黴び」の間に配置しているから、この句が夏の句であることは明らかである。また、「丸ビル集会室」とあるから、ここで詠まれているのは少なくとも「浜焼きのサバ」ではないだろう。
また、この句の「鯖」は先の草間の句にあるような冷凍保存されて流通した「大衆魚」としての「鯖」とも違うものだろう。田村はこの句の読みについて断定を避け、「やはり名高い能登鯖の焼いてすぐのまだあつあつのものを食べたときの触感を句にしたためたものととらえたい」と、多分に自らのファンタジーをおりまぜた読みを提示しているが、これは能登の焼鯖が夏の風物詩であったことを考えれば合理的な読みでもある。いったいに、この句に記されているのは鯖の旬を喜ぶ心持であって、その喜びをどのようなものとして読むことを請け負うのかということは読み手に委ねられている。ここにこの句の読みの眼目があるように思われる。