【44】ちんぼこもおそそも湧いてあふれる湯     種田山頭火

花土公子『句碑のある旅』(角川書店、二〇一〇)の一句。本書はその名の通り日本の各地にある句碑を巡る旅行記である。句碑は全国にいったいどのくらい存在するものなのだろうか。以前この連載でとりあげた『写真譜・句碑百選』(宮澤康造著、桜楓社、一九八六)によれば、芭蕉の句碑だけでも全国に一八〇〇基を優に超え近代俳人で二〇基以上の句碑を持つ者が三〇名余りに及ぶというから、全国にある句碑となるとその数は数千基にもなろうか。
本書において興味深いのは、「句碑のある場所への下調べなど、旅行プランを立てて出掛けた」という著者が、実際の旅のなかでどのようにして句碑に出会ったかが述べられている点である。たとえば宮城県仙台市への旅は次のように記されている。

 島崎藤村碑と、仙台生れの土井晩翠の「荒城の月」碑がある。若緑に(ママ)香に包まれて奥へ進むと、浦安橋という小さな橋のたもとに、この地出身の阿部みどり女の句碑がある。
 初蝶の流れ光陰ながれけり

藤村の碑と「荒城の月」の碑とみどり女の句碑がこの旅行記においてはあたかも並び立つかのように記述されている。また岐阜県飛騨市古川町への旅については次のようにある。

平成X年七月、新穂高ロープウェイから見た北アルプスがまた見たいと昔を懐かしんでいる主人である。夏はとても混むので少し早めの時期の出発にしたが、やはり梅雨が抜けなかった。高山へは何度も行っているので、NHKの朝の連ドラの「さくら」の撮影地、古川を訪ねることにした。(略)
古い町並の中に酒蔵も二軒あり、特に人を集めているのが、ドラマの主人公さくらが下宿していた和ろうそく店「三嶋屋」。明和年間(一七六四~七二)から続く手作りろうそくの店で、薄暗い店内でご主人が一人黙々とろうそくを作っている。三寺参りの大ろうそくもこの人の作。
三寺の一つ「本光寺」は、親鸞上人の大きな像と「あゝ野麦峠」の碑がある。荒城川に沿って北へ行くと三つ目の「真宗寺」がある。今宮橋を渡ると宮川との合流点に「千代の松原公園」がある。ぱらぱらと松がある左手奥に大きな石碑があるので近寄ってみると大野林火の句碑であった。
 飛騨涼し北指して川流れをり

昔を懐かしむ夫の思いや朝の連ドラ、そして「あゝ野麦峠」のイメージが重なり合った景を旅するなかで花土は林火の句碑に出会う。いったいに、句碑というものの面白さは、ひとつにはこのように思いがけない景のなかに俳句が挿入される面白さにあるのではないだろうか。実際、個人的な回想や朝の連ドラや女工の悲哀を描いた作品を想起するなかで発見された林火の句碑のたたずまいは一種の奇景というべきであろう。
たとえば先のみどり女の句碑にしても、「荒城の月」から「初蝶の流れ光陰ながれけり」へと接続するという奇景が生じているが、興味深いのは、両者を接続させているのがほかならぬ花土という一人の旅行者の身体的な運動であるということだ。いうまでもなく、この奇景が生まれたのは花土が両者の間を移動したからである。さらにいえば、花土がこの両者をまなざし、かつその旅行記に併記したためである。これは林火の句碑にしても同様で、こうした奇景を生んだのは他ならぬ花土という移動する身体なのだ。句碑を巡る旅においてはいわば身体が文脈を生成するのである。
さて表題句に話を移そう。この句碑は山口県の湯田温泉にあるという。山頭火は句碑を多く持つ俳人の一人だが、一九三二年に小郡の「其中庵」に住み、また一九三八年に湯田前町竜泉寺の上隣の「風来居」と称して住んでいた頃に湯田温泉に通っていたという。この句はその頃に詠んだ湯田温泉の句のひとつである。本書には次のように記されている。

 温泉の中心地に中原中也記念館が出来ている。山頭火通りを抜けて錦川通りへさしかかると、ここにも中也の詩碑と山頭火の句碑が並んでいる。
  ちんぼこもおそそも湧いてあふれる湯
 主人「なんだこの俳句は!」と言う。「可愛らしくていいじゃない」と私。

湯田温泉は中原中也生誕の地だが、ここで挙げられている詩碑は「童謡」という題の詩を刻んだものである。

しののめの
よるのうみにて
汽笛鳴る。
こころよ
起きよ
目を覚ませ。
しののめの
よるのうみにて
汽笛鳴る。
象の目玉の
汽笛鳴る。

山頭火の句碑はこの詩碑の隣にある。中也と山頭火の碑は井上公園(旧高田公園)にもあって、そちらは中也の「帰郷」と山頭火の「ほろほろ酔ふてこの葉ふる」が対になっている。また花土がいう「山頭火通り」とは中原中也記念館の東側にある通りの名であるが、湯田温泉にあっては、ことほど左様に山頭火と中也がセットで観光資源となっているのである。換言すれば、湯田温泉とは山頭火と中也とを一対のものとして設計した街なのである(山頭火の「ちんぼこもおそそも湧いてあふれる湯」はこの設計において見出された一句であったろう)。とすれば「温泉の中心地に中原中也記念館が出来ている。山頭火通りを抜けて錦川通りへさしかかると、ここにも中也の詩碑と山頭火の句碑が並んでいる」と記された先の花土の身体的な運動は、この街の設計に忠実に従ったものであったともいえそうである。