【52】白子まだ小さし十一月の鰒     長谷川幸延

長谷川幸延『舌三寸―味の随筆―』(読売新聞社、一九七二)の一句。著者の長谷川は長谷川伸に師事し、いわゆる大衆小説や戯曲を著した作家である。戦前から戦後にかけて直木賞に七度ノミネートされていながら結局受賞を逃していることからうかがえるように大衆小説作家としては屈折した経歴を持つ長谷川だが、本書はその長谷川がその晩年において記した食に関するエッセイ集である。
本書上梓の頃の長谷川はすでに七〇歳近い年齢になっていたはずである。しかし「私はまだ若いし、舌はもとより(二枚舌はないが)、歯も全部自前である。私の味修業はこれからだと思っている」と書いているように(「あとがき」)、その食欲は実に旺盛である。歯については自信があったのか本書において次のようにも記している。

少年の日、淡い初恋の彼女と淀川の堤へ摘み草に行ったとき、茶店で二枚買った一枚を、
「……」
 だまって渡し、二人並んで土手の青草に腰かけて食べた。女にものをプレゼントした、それが最初のものであった。お下げ髪の彼女であった。
 大豆のはいったのもあった。―が、以上いずれも薄手のせいか、歯ごたえがもろく、しぜん、味も濃い。そのときの、お下げ髪の印象のように……。そして、おかきも女も、だんだん歯ごたえのある方へ移行したのである。(略)
 だんだん固い欠き餅に移って、いよいよ欠き餅の旨さを知った。それらしいのが店頭にある店へは、今でも立ち寄る。
「その固焼き、固いか」
 と、変なきき方をする。たいてい固焼きで通じる。そして、いい固焼きに出くわすとわざわざ買いに行く。が、これとて、だんだん固くなくなるから不思議だ。今では、歯に立つ敵がない。(「冬の味」)

かき餅に対する自らの好みの変遷を女性に対するそれと併記するところに長谷川らしさがある。長谷川らしさといえば、大阪の曽根崎に生まれた長谷川の好みはしばしば大阪びいきでもある。たとえば歌舞伎作者の「鰻とまぐろだけは、東京や」という言葉に対しては次のようにいう。

 が、私はむし焼きの鰻より、ボトボトと出汁をしたたらせて直火で焼く、少しばかり皮のしっかりした大阪流の鰻でないと、食べた気のしないのは、氏より育ちであろうか。しかし、私はそれを下賤の舌だとは、決して思わないのだが……。(「夏の味」)

ここで長谷川が「下賤の舌」と書いているのは、長谷川が鰻の味を覚えた大阪での生活が祖母と二人きりでの決して裕福とはいえないものだったことを示唆しているのだろう。実際「庶民の中の一老婆」としての彼女は「清水の舞台から飛んだと思って、網彦へ年に一度行くか行かないかで、遂に東吾も、生野も、菱富も知らずに死んだ」のである。
さて、表題句の鰒が詠みこまれているが、この鰒については次のように書いている。

  白子まだ小さし十一月の鰒  私
 行きつけの神戸の明石屋での作だ。たのまれて色紙にも書いてのこした。
 十一月に白子があるか、無いか。翌る日。わざわざ神戸まで行った。明石屋では、りっぱに(小さかったが)白子を食べさせた。
 しかし、十一月のふぐはまだ早い。白子が小さいからである。白子の大きくなる時分、つまりふぐが十分に成熟する十二月から一月にかけ、ふぐはだんだん旨くなるのだ。(略)ただ十一月の収穫は、くちびると、皮の旨さにある。これだけは成魚になると無くなる味だ。唇と皮膚の若々しさ……。ふぐもまた人間と同じである。(「冬の味」)

この句のかなめは「まだ小さし」という形容にあろう。長谷川はわざわざ鰒の白子のために神戸まで出かけているが、この句は白子が小さかったことに対する落胆の句などではもちろんなくて、白子の小さい時分の鰒への愛着を詠んでいるのである。先の文章のなかで長谷川は「人妻との交わりは、ふぐの旨さに似ると、昔はいった」とも書いていて、鰒の旨さをここでも女性に例えている。とすれば前掲文中の「唇と皮膚の若々しさ……」というのは女性のそれをいうのであろう。だがその唇や皮とともに食している白子はいうまでもなく精巣のことであって、読んでいるうちになんだか妙な気分になる。
本書には自作の句のほか、芭蕉や蕪村らの句もしばしば引かれている。子規や虚子がなくて青木月斗の句があるのはやはり大阪生まれの長谷川らしい。そのなかに芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」で始まる一篇がある。初めて(そしてたった一度だけ)一つ上の従兄の一男といっしょに蛸壺舟に乗った六、七歳の頃の思い出を綴ったものである。

 私の祖母は心配そうに渚に立って見送っていた。やがて、祖母から舟は見えても、舟から祖母は見えなくなった。心細かった。一男は馴れているらしく、船頭に何かと話しかけるが、私はベソをかきそうだった。(略)
 若い衆たちは笑いながら舟を引き返した。渚がだんだん近くなり、そのうちに一つの小石のようなものが、だんだん大きく見えてくる。それが、立ちつくしている祖母だと分かると、思わず、
「おばあちゃん」
「まだまだ聞こえん」
 若者たちは声を揃えて笑ったが、私は涙があふれて仕方がなかった。さっきの舟の人たちの話といい、祖母は、四、五時間も、その渚に立ちつくし、孫の安否を気づかっていたのだろうか。(「蛸壺の夢」)

長谷川は料理や食材から自在に想像をめぐらせて一篇を立ちあげていく。それはときに初恋の思い出へと傾き、女性の身体への興味へと傾き、あるいは祖母への追慕へと傾く。だが、いずれもが食への尽きることのない執着に始まり、収斂していく。なにしろ、米の味について次のように語る長谷川である。その大仰なまでの愛着の吐露は、可笑しいながらも、なにか業のようなものさえ感じさせる。

それにしても、お米の旨さというものは、日本人の食べものの中で、まず比類のないものではないか。
ご飯といえば、私は糖尿の食餌療法をしているので、ご飯は朝一回。それも大ぶりの茶碗だが一つきり。このご飯が、じつに旨い。ご飯というものが、こんなに旨いものかと、毎朝感謝しつづける。ご飯さえ旨ければ、お菜は第二、第三であろう。(「米の味」)