【75】ほたと落ちし墨も白紙のうららけき     河東碧梧桐

町田誠之『和紙散歩』(淡交社、一九九三)の一句。本書は理学博士であり和紙に関する多くの著書を持つ町田誠之による随筆である。もともとは神崎製紙株式会社の季刊誌『Viewかんざき』に一九七八年から一〇年間にわたって連載されたものであった。巻頭で町田は次のようにいう。

いずれにしても清らかな和紙は、忙しい現代を生きる者に心の安らぎを与えずにはおかない。それは和紙に彩られた一世代前の暮らしのにおいを漂わし、ほのぼのとした郷愁を起こさせるからである。日本の文学や芸術は、すべて美しい和紙に囲まれた空間から生まれ、われわれの感性はそのなかではぐくまれたのであった。

たとえば俳句と和紙との関係を思うとき、まず気がつくのは、季語のなかに和紙と縁のあるものがいくつも見られるということであろう。「紙漉き」「紙衾」「紙雛」など「紙」を冠したことばに限らず、「凧」「走馬灯」「団扇」「書初」などあげればきりがない。

 秋の燈やゆかしき奈良の道具市                     与謝蕪村

町田によれば「江戸時代中期には、夜の照明は庶民の間でも行燈や提灯が広くゆきわたっていた」ということだが、「秋の燈」の情趣は燈下にしめやかさをもたらす和紙あってのものであろう。町田は先の蕪村の句のほかに「降りかけの路に灯つづる宵の秋」(富田木歩)も引いているが、木歩の生涯と紙越しの灯りのあたたかさとが相俟って、えもいわれぬ哀れさと優しさの漂う情趣が立ち上がってくる。
面白いのは「歌かるた」についての記述である。

明治の文豪尾崎紅葉(一八六七~一九〇三)の名作『金色夜叉』は、その物語の発端を正月のかるた会の場面に置いている。当時の歌がるたの流行をよく表しているが、当時は男女がおおっぴらで遊び興じられるよい機会でもあった。
座を挙げて恋ほのめくや歌かるた                      虚子
などの俳句もあり、かるた会の取り持つ縁も多かったことであろう。歌の大部分は恋愛感情を詠んだもので、それを理解した上での意気投合なら奥床しいことでもある。

町田も指摘しているように、今日においては「新年」に分類されている「かるた」であるが、もともとは「歌かるた憎き人かなほととぎす」(『曠野集』)とあるように正月に限ったものではなかったらしい。虚子の句は「大部分は恋愛感情を詠んだ」歌を取り合うという「歌かるた」というものの本来的な性質と「歌かるた」を楽しむ状況のかつてのありようとをよく示している。だが、そもそもこの「歌かるた」の流行などはまさしく紙の普及のもたらした現象の一例であろう。
さて表題句であるが、書をよくした碧梧桐らしいといえば碧梧桐らしい一句である。

 白い和紙の上に何げなく一滴の墨汁が落ちた瞬間、その紙は明るく美しく輝いて見えることを実に巧みに捕えている。墨の一点によって余白がいっそう際立って見えると同時に、紙が活気のある表情を現してくるのが感じられる。まさに決定的瞬間である。

町田はこのように述べてから、紙のにじみへと話を進めていく。

 たっぷりと墨汁を含んだ筆が真っ白い紙の上に下ろされる瞬間、それは書家の最も気合いのこめられた刹那である。あとは筆の動きによって形象が描かれてゆく。が、それと同時に紙上の墨は人手を離れて、紙の表面または内部に向かって自由な浸透を開始する。その微細な作用が人為の及ばない自然の創造を展開する。微妙なにじみの現象は、紙という材質の天性に基づく精妙な表現である。

碧梧桐もまたこうした緊張のもとに一句をしたためることがあっただろう。そんなことを想像して、ふと気になったのは、碧梧桐晩年の句業である。碧梧桐といえば、晩年、自由律へ、そして独特のルビ付き俳句へと進んでいったが、とりわけあのルビ付きの句は、どうも書とは相性が悪いような気がする。あれらはやはり、活字化され、雑誌というメディアによって不特定多数の読者へと届けられるようになった状況を前提として成立したものではないだろうか。碧梧桐後年のルビ付きの句からうかがわれるのは、その強烈な自意識の表出とはうらはらに、他者の無理解に対する過剰なほどの懸念と不安ではなかったか。とすれば、ルビ付きの句が書になじみにくい気がするのは、町田のいう「人為の及ばない自然の創造を展開する」という書の性質と関係があるように思うが、はたしてどうであろうか。