【11】  葦原を出づる嘗ての螢の身   齋藤玄

掲句は少々解釈のしづらい作品となろうが、取り敢えず「葦原」に「螢」を見に来た、という情景をまずは思い描いてみるといいかもしれない。そして、葦原で明滅する蛍の幽玄な姿を眺め終えたあと、元来た場所へと引き返そうとする「私」。振り向いた先に広がっているのは当然ながら暗い闇となろう。その視界の裡には、それこそ今し方見たばかりの蛍の明滅が残像として泛かび上がってくるかのようである。

そして、その葦原の闇の中を歩んでいると、原初性への遡及とでもいうのであろうか、もしかしたら嘗ては自分自身もあのように蛍として実際に水辺に浮遊していたこともあったのではないかという気が漫(そぞ)ろにしてくるようなところがある。そもそも蛍は古来より人の魂の化身であると言い伝えられてきたものであり、和歌にも和泉式部の〈もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る〉や西行の〈沢水にほたるの影の数ぞそふわがたましひやゆきて具すらん〉などといった作が存在する。

蛍が人間の魂そのものであるのならば、この自らの存在自体も人となる以前は蛍であったと考えてもおかしくはないであろう。また、それならば反対にこの自らの肉体が消え去った後も、魂だけは蛍となって在(ながら)えることになると考えることもできそうである。このように見た場合、もしかしたら現在における自らの人間の姿というものは、それこそ一時の仮初のものに過ぎないのではないかとさえ思われてくる。

掲句は、まさしく作者の詩的想像力に基いた作品といえよう。このように現実の世界を別の角度から眺め異化させることによって、現実における実相が本来的な在りようを以て顕現してくるところがある。

また、掲句には、現実と非現実、過去と現在、人と蛍、幽と明といったそれぞれ相反する要素が混在し交錯するかのように包括されているが、この作者には他にも〈ある筈もなき螢火の蚊帳の中〉〈影は身を出でて彳む夕蛙〉〈糸遊を見てゐて何も見てゐずや〉〈睡りては人をはなるる露の中〉〈人てふは影にすぎざり大旦〉〈雁のゐぬ空には雁の高貴かな〉〈この世ともつかず雁ちらばりて〉〈初蝶をとらふればみな風ならむ〉〈一羽舞ふは一羽ほろびの雪の鶴〉〈死期といふ水と氷の霞かな〉といった句が存在する。いずれも世界を単なる一面的なものとして見るのではなく、有と無、存在と非在といった境界線の上を拠点とし、その在りようを複合的に捉えたとでもいったような趣きの作品であり、ここに齋藤玄の作品における特徴を見出すことができよう。

齋藤玄は、大正3年(1914)函館生まれ。昭和12年(1937)「京大俳句」に参加。昭和17年(1942)第1句集『舎木』。昭和18年(1943)「鶴」に投句。昭和19年(1944)第2句集『飛雪』。昭和47年(1972)第3句集『玄』。昭和48年(1973)『齋藤玄全詩集 ムムム』。昭和50年(1975)第4句集『狩眼』。昭和54年(1979)第5句集『雁道』。昭和55年(1980)第14回蛇笏賞。5月逝去(66歳)。昭和56年(1981)遺句集『無畔』。昭和61年(1986)『齋藤玄全句集』。