【41】  昔男ありけりわれ等都鳥   富安風生

「昔男ありけり」で思い出されるのは、やはり『伊勢物語』となろう。そして、「都鳥」であるから、『伊勢物語』第九段の「から衣」が想起されるということになる。

その「から衣」についてであるが、「昔」、「男」が自らを「えうなきもの」と観じ京を捨て、東の方へ自らの居場所を求めて下ってゆく過程が描かれている。「男」は、まず三河の国八橋、次いで駿河の国、宇津の山と過ぎ、とうとう武蔵と下総の国境である隅田川に到着する。この「から衣」の終盤にあたる隅田川の場面で「都鳥」が登場するわけであるが、その箇所を引用したい。

猶行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」といふに、乗りて渡らむとするに、皆人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折りしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふをききて、

名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

ここにおける「都鳥」は、現在の「ゆりかもめ」を意味するという説が有力である。これらを踏まえて、改めて風生の句を見ると、掲句は「われ等」の3文字以外全てこの「から衣」からの言葉で構成されているということになる。

ただ、掲句については、何度読んでみてもその意味がいまひとつはっきりとしないところがある。「昔男ありけり」で一旦切れ、その後に続くのが「われ等都鳥」という措辞のみであるから、それこそ随分と抽象的な内容の句といっていいであろう。おそらくこれは極端な省略表現による結果ではないかと思われる。しかしながら、そもそも掲句については、具体的な意味性といったものはそれほど重要ではないのかもしれない。それこそ『伊勢物語』の雅の世界とそれに対する現在の「われ等」の憧憬といったものをただそのまま感取すれば、それで充分という気もする。

「都鳥」の存在を介して想像される嘗ての『伊勢物語』の世界。それこそこの作品の内容からは、まるで一羽の「都鳥」と化して、「昔」の「男」たちの乗る「舟」の様子をそのまま眼前としているかのような感覚をおぼえるところがある。

富安風生(とみやす ふうせい)は、明治18年(1885)、愛知県生まれ。大正7年(1918)、「天の川」同人。大正8年(1919)、高浜虚子に師事。昭和3年(1928)、逓信省内の俳句雑誌「若葉」選者、のち主宰。昭和4年(1929)、「ホトトギス」同人。昭和8年(1933) 、『草の花』。昭和12年(1937)、『十三夜』。昭和16年(1941)、『草木愛』、『淡水魚』。昭和19年(1944)、『霜晴』。昭和21年(1946)、『紫陽花』。昭和22年(1947)、『星まつり』、『春時雨』。昭和23年(1948)、『野菊晴』。昭和25年(1950)、『朴若葉』。昭和30年(1955)、『晩涼』。昭和32年(1957)、『古希春風』。昭和39年(1964)、『興津帖』。昭和43年(1968)、『傘寿以後』。昭和44年(1969)、『富士百句』。昭和46年(1971)、『米寿前』。昭和47年(1972)、『冬うらら』。昭和48年(1973)、『年の花』。昭和52年(1977)、『富安風生集 老の春』、『富安風生全句集』。昭和54年(1979) 、逝去(94歳)。昭和57年(1982)、『走馬燈』。平成4年(1992)、『富安風生全集』。