2012年2月 田島健一 × 日下野由季

 田島健一の「可憐な名前」という短文を読むと、この人は俳句に対して真正面から構えている人なんだと切に思う。「名前のないものを呼び寄せることはできません。だから僕は新しい名前をつけるつもりで俳句を作っています」。この感覚は、まだほとんどのものが名前を持たなかった原初のころの人々のそれと通じるものに違いない。
 人々が樹上での生活を止め、世界を歩き回るようになり、そうして初めて海へ出た頃、眼前にひろがる広大な青に対して、よく分からないまま「ウミイイイィッ!」と叫んだひとがいたはずなのだ。そして、そうしたことが一通り終って、言語はひとつの体系をかたちづくると、今度は、海や山といった類の言葉は、あるものを指し示すためのオートマチックで味気ない記号(山=/\)でしかなくなり、それだけでは魂をもたないものとなってしまって、その代わりに言葉と言葉の組み合わせが言葉の創造の中心となった。そして、その可能性はすくなくともこれまでの人間の手では尽せないほど多様だったために、そして、もはやこれ以上言葉を創造する有効な方法が見出せそうにないために、いまでもこうした行為が言葉の創造の中心になっている。
 僕はひとりの不純な作り手として、こうした意味での言葉の創造だけが詩なんだ、という考え方には疑問をはさみたくなってしまう。これは、なにも田島さんに対する批判とかではなく――そもそも、田島さんは言葉の創造だけが詩なんだ、とは言ってないし――まあ、ほかにも詩の可能性ってあるんじゃないだろうか、という話。
 何が言いたいのかっていうと、言葉そのものを作り出すんじゃなくて、言葉によって何かを作り出すことを狙った詩は、あっていいじゃん、ということ。もちろん、そのために言葉もまた作り出されることがあるだろう。たとえば「サラダ記念日」という言葉は、そうした類のものなのじゃないかと思う。けれど、言葉を作り出すことなく、何かを作り出すことだって、出来る気がする。たとえばこの名句は、言葉を作り出さずに何かを作り出している一例じゃないだろうか。

  毎年よ彼岸の入に寒いのは     正岡子規

 さて、「可憐な名前」は、「ときどき俳句のほうから僕を呼び返してくれることがあります。そんなときは、自分のなかにある自分以上のものに出逢えたような気がして、とても嬉しいです」と締められている。ここに語られていることは、言葉によって何か別のものが作り出されるということのひとつのありようだと思う。言葉によって「僕」が創造される感覚。「僕」以外にも、もちろんさまざまなものが、言葉によって創造される。田島さんの場合は、態度として、その前提に言葉の創造を追い求めているように感じられるけれど。
 それじゃあ、20句作品「杖は終日」の句を見ていこう。

  兎の眼うつくし紙のような自我     田島健一

 「兎の眼」に対して「うつくし」という形容をすること、あるいは「自我」を「紙のよう」だと形容すること、そして、それらをとりあわせること、これらはすべて、ある引っかかりを僕らに感じさせるという点で言葉の創造と言っていいだろう。この引っかかりによって対象を異化する言葉を現出させること。これが上で書いたような、言葉と言葉の組み合わせによる言葉の創造だ。

  妻はステゴザウルスが好き冬暖か     同

 博物館に行ってきたのだろうか。他愛も無い会話の中から引き出された一句であるようにも感じられる。ステゴザウルスは背中に板状の突起物が立ち並んでいる容姿がユーモラスな、ジュラ紀の草食恐竜だ。性格はどうやら温厚らしい――ステゴザウルスの知り合いはいないから、分からないけれど。
 さて「可憐な名前」に書かれていることを踏まえてこの句を読むと、どうしても高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を思い出してしまう。『さようなら、ギャングたち』に描き出された世界では、愛し合う恋人同士がお互いにお互いの名前を与える。ちなみにタイトルの「さようなら、ギャングたち」はこうしてつけられた主人公の名前である。彼は「中島みゆきソング・ブック」と彼が名づけた恋人に、この名前をもらうのだ。
 そんな世界だったら、あるいは「ステゴザウルスが好き冬暖か」という名前の人がいてもいいかもしれない。すてきな名前だと思う。

  朝日まかふしぎ鯨たちの通信     同

 とにかく声に出して読んでみて欲しい。この句、響きがすごくいい。
 考えてみると、この句の空間把握はすこし独特だ。まず朝日が昇ってくる。その下に鯨たちが潜んでいて、人間には聞こえない音域で、秘密めいた通信をしている。鯨の群れた影が海の色に透けて黒くぼんやりと見えているような映像が思われる。
 「朝日まかふしぎ」という言葉が、ゆらめきながらぐんぐんと昇ってくる朝日を思わせるのは、この「まかふしぎ」という言葉のつくりだす、やわらかくうねるような時間感覚のためなんだろう。

  オランダミツバ火の万能を信じない     同

 オランダミツバって、あまり聞きなれない名前だったので、調べてみて、セロリのことか、と納得した。セロリは、たしかに火を通すより生で食べたほうがおいしいと思う。ただ、それだけの句じゃないような気がして、気になっている。「火の万能」って、ほんとうは、「セロリは生のほうがおいしい」ってことなんかじゃ覆せないほど、もっと大きな言葉だと思うから。この言葉は、なんでもかんでも火で解決してしまえるというエゴイスティックな傲慢さに対する非難のようにも受け取れる。

 日下野由季の二十句作品「立春」には、色の句が目立つ。「咲くことのみ」と題された短文の中で「近頃は桂信子の〈青空や花は咲くことのみ思ひ〉がいつも心の中にある」と書かれているから、あるいはこの句の詠みぶりからの影響なのかもしれない。「信子の見た花の姿には生きることを肯定する強い力があって、人がつい忘れてしまいそうになる大切なことを気がつかせてくれる」と作者は書く。この「生きることを肯定する強い力」を感じさせる源になっている景は、たしかに作者の言うとおりこの花のありようだと思われる。しかし、そうした力を言葉のうえでどこから感じるかというと、実は、「青空や」という、上五の、ある意味では無鉄砲な詠嘆からなんじゃないだろうかという気がする。

  深爪にバラ色さしぬ結氷期     日下野由季

 この句では「生きることを肯定する強い力」が、「バラ色」という言葉にある。
 考えてみると、言葉の芸術表現で色彩を核にするということは不思議なことだ。こういうとき、色彩が大事というよりは、言葉が大事なんだろう。「バラ色」は、景の中にバラの色をそのままコピー&ペーストする言葉であると同時に、それがそのまま「バラ色」として伝達されるという点で、実際に色を見せる絵画や映画のような視覚芸術における色の働きとはまるで違う。
 まず、視覚芸術では、ある物体から色だけを移して来たものからもとの物体を想像させるということは、そう簡単なことじゃない。バラの紅をバラからコピーしてきて、それをどこかに塗ったとしても、それだけでは単に発色の強い深い赤色として認識されてしまうのが普通だ。逆に、バラのかたちが描き出され、あるいは映し出されるとき、その色が本物のバラと違う色であっても、それはバラの色として認識されるということがある。たとえば白黒映画では、僕らは深い灰色に映し出されたバラをバラ色のバラとして認識するだろう。
 この句における「バラ色」はこうした視覚芸術では表現できない言葉としての色の作用を存分につかって、「生きることを肯定する強い力」を句に持たせている。

  大銀杏散るこんじきの音の中     同

 この句も、言葉としての「こんじき」でなければ成立しないし、言葉としての「音」でなければ成立しない。「こんじきの音」には言葉だから描き出せる質感がある。――と書きながら、そうか、これも言葉の創造の作用なんだ、と気付く。

  荷造りの大方は本春の雨     同

 一方で、この句は、言葉の創造という点から語るのは不可能ではないけれど、あまりそういう句であるという感じがしない。「荷造りの大方は本」は省略の効いたフレーズで、そのあたりを言葉の創造として語ることはできないことじゃない。けれど、むしろこの句は、言葉によって何かを作り出そうとしているという感じがする。この句において「荷造りの大方」が何なのかというのは、実際、作品それ自体の要請によって決められるところではない、という気がする。服やCDなど、他のものでもこの句は成り立つだろう。けれど、この断定によって、ほかのなにものでもなく景は本に限定される。「荷造りの大方は本」であるということ自体が、その言外に人物のありようを浮かび上がらせる。そして、さらにはそれを俳句として書きとめようという人物のありようを浮かび上がらせるのだ。これは、言葉の創造というより、言葉による創造といったほうがいいだろう。

  薄氷見えざるところよりゆるぶ     同

 この句は、言葉をつくりだしているという感じが強くする。「見えざるところよりゆるぶ」と言うと、そんな感じがする。それこそ、名前が与えられていなかった感覚に名前が与えられたという感じだ。そして、この句にも、なんだか、生きることの肯定があるように思う。いのちが直接みえる句ではないのだけれど――ふしぎだ。

 ひょっとすると、何かに名前を、つまり、そのものを語る言葉をあたえるということは、それ自体、一般に、そのものが存在することの肯定なのかもしれない。ときには、何でこんなものが生まれてしまったんだろうと疑問に思いながら、しかし現に存在してしまっているそのもののことを、ほかにどうしようもないから肯定するということがあるかもしれないけれど、そして、いつもいつもいい名前ばかりじゃないかもしれないけれど、でもそれはそれで、ひとつの肯定なんだ。そう思う。そして、それはもちろん、生きることを肯定する強い力にもなる。

 さて、一年ちかくに渡ったとりとめもないこの連載も、ここでいったん締めくくりになる。
 書くことは、言葉そのものを生み出そうとする行為にも、言葉によって何かに作用しようとする行為にもなりうる。批評もその例外じゃない。この一年間、取り扱う作品について、それを語る言葉を作り出したいという意識と、取り扱う作品をある言葉によって語ることで何かを作り出したいという意識と、そのどちらもが入り混じりながら、続けてきた。上手く批評できたとは思っていないけれど、端的に言って、楽しかった。
 この連載が、楽しんでもらえて、あるいは、楽しんではもらえなかったとしても、読者のみなさんのインスピレーションを何らかのかたちで刺激することが出来ていれば、うれしいと思う。