2015年10月31日

南洋に虹じゃんけんの一万年

高濱虚子に「川を見るバナナの皮は手より落ち」という句がある。変な句だ。そのせいか、時々批評の俎上にあげられる。虚子が本当にバナナを皮へ落としたかどうかなんて話もあるが、それはさておき、かつて虚子は、季題「バナナ」を自分の編集した歳時記から落としている。

虚子編「新歳時記」は、昭和9年11月初版。昭和15年4月に改訂版がでている。わたしの手元には、改訂の第30版(昭和16)とさらにその後の昭和26年増訂の第61版(平成5)があるので、引用はこれらによる。その改訂に際し、虚子は「熱帯の気候・動植物・人事等のうちで已に夏季に属するものとして諷詠し来つたものを増補」(改訂版の序文)した。その〈熱帯季題〉は以下の35語で、7月の最後に載せてある。

熱帯、赤道、馬来正月、朝陰、木蔭、オアシス、貿易風、スコール、赤道祭、嫁選、象、水牛、鰐、鱶、極楽鳥、熱帯魚、火焔樹、無憂華、鳳凰樹、宝冠木、仏桑花、ドリアン、マンゴスチン、マンゴー、パパヤ、龍眼、バナナ、パイナップル、椰子、檳榔樹、護謨樹、榕樹、クロトン、月下美人、ブーゲンベレア

これらは昭和11年の渡欧にあたり、虚子が執筆した「熱帯季題小論」上下(初出「東京日日新聞」昭和11年4月14・15日)に出ている熱帯季題群をほぼ踏襲したものであり、さらにその小論の補遺(初出「ホトトギス」昭和11年9月。「定本高濱虚子全集」第十一巻所収の記事に拠る)において、虚子は「そんな風に地方\/で歳時記が出来たら俳句の統一がむづかしくなる。どこまでも本土の歳時記を尊重し、大体は其に準拠し、唯熱帯地方には特別の取除けがあることにすれば、いくらか自由に作れることになるかもしれぬ。」と述べ、いわば例外扱いで、南方で句作する人々の便宜のためにこれら熱帯の季題を歳時記に収めることにしたというのだ。

このフィリピンの紀行句文は、身内が仕事で転勤したのをいいことに何度か旅行したのを一連にまとめたものだが、書く動機のもう一つに、あえてこれら熱帯季題による句作を試してみることがあった。場所が違うとか、実物がない、わからないなどの理由でつかえないものもあったが、ひとまず熱帯、朝陰、木蔭、貿易風(恒信風)、スコール、バナナ、椰子、檳榔、護謨は詠んである。
ところで、坊城俊樹の記事によれば、バナナは既に初版に収められていたようであるので、(※注)熱帯季語を収めるに当たり、改訂版で一つにまとめられたものと思われる。先の虚子の句は、昭和9年11月の作なので初版には収められていないが、改訂版には収められている。解説には「バナナ即ち甘蕉(「みばせう」とルビ・・・引用者)で、産地は多く常夏の国である。丈余の茎頭に、大長葉の間から累々と垂れ下つた群果は蓋し見事なものであらう。内地にも大量に輸入され、滋養にもなるし、夏多く食べられる。」とある。例句は虚子句の他に、

各〃に遠き故郷やバナナむく  草千  ※「〃」の元は筆字の繰り返し記号の活字
舷梯を追戻されぬバナナ売   白汀
バナナ買ふ程の馬来語覚えけり 三堂

の三句。先の坊城の記事によれば、白汀の句は初版には「台湾所見」と前書があったようである。つまりこれは、小船で客船にバナナを売りにくるという「外地」の風景だ。そして虚子は、敗戦後の歳時記「増訂」にあたって、この熱帯季題の項をまるごと削ってしまうのである。一つの戦後処理であろう。
その坊城の記事では「南洋季題はかならずしも一般化せず、そのまま消えていったものもある。」と書いているけれど、状況はもっとすっきりしている。もちろん、高度成長期とバブル期を経て、バナナの他、熱帯のものも随分身近になり、現行の歳時記類に収められている語もあるけれども、かつてそのようなことがあったことは覚えておきたいと思う。そうでなければ、人の都合で短期間に拾われ捨てられた「花鳥」たる熱帯季題群や、一緒に削られてしまったバナナがなんとも気の毒ではないか。筑紫磐井の句に、

バナナ・コレラを花鳥と呼べりさう思ヘ

というのがあるが、これは初版を受けてのことであろう。戦後の増訂版には、コレラはあるが、バナナは載っていないのだから。

※注
坊城俊樹「高濱虚子の100句を読む」第71回
http://www.izbooks.co.jp/kyoshi71.html