2015年7月27日

矢車草夏の速さをおぼえつゝ

『和泉式部日記』には三種類の写本が残っていて、そのうちいま一般に読まれているのは三条西家本である。あとの二つは寛元本、応永本といって書写年代が少し下る。三条西家本は現行どおり『和泉式部日記』だが、あとの二つには『和泉式部物語』と異なる題が与えられている。

写本の運命で三種類とも表現に違いがある。たとえば、亡くなった恋人為尊親王に仕えていた小舎人童が久しぶりに訪ねてきた冒頭の箇所、小舎人童を懐かしんで言うのが以下の表現であるが、

遠ざかる昔のなごりにも思ふを(三)
遠ざかる昔のなごりにはと思ふを(寛、応)

と「も」「はと」の違いがある。

ここで、も、と言えてしまうのは当事者だ。あれも、これも、とさまざまの思いがあるなかで、「遠ざかる昔のなごりにも」思う。万感を匂わせる「も」だから、この人にしか言えない。いっぽう「はと」、とくにここでは「と」が大事なのだが、これは引用の「と」。「と」と書いてしまった瞬間、その言葉に自分は冷静になる。「と」は言葉を突き放すのだ。こういうところに「日記」と「物語」の差が出ている。(とさっき日本文学の講義で聞いた)

助詞は正確に。