枝低く広げて夏の丘の前
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狭い部屋にいたのは天本英世の朗読会がそこで始まるからだった。天本英世はもう十年も前に死んだ筈だがと思いながら彼を見ていた。小暗いところで、部屋の真ん中にだけ明かりがあった。気が付くと朗読が始まっていた。ロルカの詩だろうと思った。彼が読むのはいつもロルカの詩だった。題は聞きそびれたが、もとよりスペイン語なので分からなかった。もしかしたら天本が著書に引いていた詩かもしれないと思いながら聞いた。私が死んだら部屋の窓を開けておいてくれというような詩だった。確証はなかったが彼の顔を見ていたらそんな気がした。声は低く、部屋の狭さの割には響かなかった。聞き逃すまいと思いながら彼の顔を見ていた。
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起きたら雨が降っていたので夢だったのが分かった。このところずっと雨だった。梅雨は明けたと聞いていたが、いつ聞いたのかは忘れてしまった。天本英世の声を聞いたのが夢なのはひどく残念だった。
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大学に行った。びっしりと授業が埋まっている日だった。へとへとになって六限に行った。芸術の先生がかわるがわる来るオムニバス講義だった。イメージと現実というテーマでその先生はしゃべり出した。部分的なイメージが全体に波及すること、という話が繰り返し出てきたが何のことなのかよく分からなくて混乱した。『星の王子さま』を例に出したりしているのを注意深く聞いていると、それはどうやら、あるイメージが自分にとっての唯一性を獲得し、それが世界の唯一性にもなる、というのを指しているようだった。これでもよく分からない。簡単に言えば、それまで他人だった人を好きになり、人生が楽しくなる、くらいの意味である(ちょっと単純化が甚だしい気もするがだいたいこのようなところで間違っていない)。
先生が矢継ぎ早に挙げていった例の中に、詩の朗読を聞いた直後から視界が明るくなった学生の話があった。何年か前に詩人を読んでそういうイベントをしたらしい。はじめ名前を出さなかったので無名作家かと思っていたら吉増剛三だと言う。そのうえ朗読の映像まで流れたので大喜びした。学内のどこかの教室が映っていた。三十人もいないくらいの学生が吉増を囲んでいた。吉増は原稿を手に立ち、少し背を曲げながら急に声を出し始めた。授業用のちゃちな再生機器でも大声なのが分かった。知らない詩だったが怪談のような筋があった。少し歩いては向き直り、少し歩いては向き直りを繰り返した。時々、声の太さが元に戻って詩を朗読することについての解説が入った。太い声と現実の声がひっきりなしに入れ替わった。そのうちにおれはこの吉増のイベントに行ったことがあったのではないかという気になってきた。
授業が終わってから、朝、天本英世の朗読を聞いたのを思い出した。朝の夢はすでにずっと昔のように思われた。夢は往々にして古めいているのは知っていたが、それでも天本の声を夢に聞いてからずいぶん時間が経っている気がした。ほんとうに聞いたのではなかった無念がそうさせているのかもしれない。がしかしおれは天本の声も吉増の声も知っている。聞こえているのはすべて声だ。