2015年7月25日

万博の頃を昔に夏の月

サトアヤとデートした。神楽坂のかもめブックスに行って安福望『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』(キノブックス/2015)の原画展を見た。短歌にイラストをつけている作家で、展示では原画の横の壁に鉛筆で短歌が書いてあった。がたがたになった文字がいいなと思った。展示のほかに、店の棚もぶらぶら見た。面白そうな漫画がたくさんあったので心惹かれた。陸上部を辞めた女子高生がバイト先のおっさんに恋をする漫画がとても面白そうだったのだが、タイトルを失念してしまった。2巻くらいまで出ていたと思う。あとで「女子高生 陸上部 バイト 年上 漫画」などあらゆる組み合わせでググったが、エロ漫画のサイトしか出てこなかった。アフターフェスティバルである。心当たりの方、教えてください。

そのあとラカグに行って本を少し見た。片岡義男の古い角川文庫がなぜか並んでいた。あの赤い背表紙に白地で抜かれたタイトルが好きだ。

・スローなブギにしてくれ
・いい旅を、と誰もが言った
・味噌汁は朝のブルース
・一日じゅう空を見ていた
・ふたとおりの終点

とか、大好きだ。洗練されていて、タイトルを読むだけで胸がどきどきする。日本語のことをよく考えている一人だと思う。角川じゃない本でも、新潮文庫の「時差のないふたつの島」とか、やばい。こういう言葉を書ける人になりたい。さいきんのでは、幻戯書房の「短編を七つ、書いた順」とか、もうこの読点にわーっとなる。はああ片岡義男読みてえ、と思いながら、店を後にする。

池袋に行って、リブロに入る。かつてあった詩歌専門店のぽえむぱろうるが、リブロ閉店までに、期間限定で復活していた。いちど半月前に、「群青」編集部の連中と来ていたが、なんど来てもいい。現代詩手帖のバックナンバーに胸がどきどきする。

そのあと、別館2Fでやっていた古書市へ。めくるめくタイトルに胸がどきどきする。佐藤信夫のレトリックの本で、知らなかったのがあって、驚く。今年中に佐藤信夫の本をがっちり読んでおかないといけないと思いつつ、もう何か月も経っている。だめな学生である。ほかにも、正岡容の本がたくさんあったり、田河水泡の色紙があったり、河島光広の『ビリーパック』の、存在を知らなかった古い復刻版を見つけたりした。『ビリーパック』は昭和30年代に「少年画報」で連載されていた少年探偵もので、主人公の顔がかっこいいので好きだった。復刻版には、早逝した作者を悼む手塚治虫の言葉が引かれていた。

いろいろ見たが、全部入手するわけにもいかないので、どうしても欲しかったのだけかごにいれた。徳川夢声の『問答有用』Ⅺ、Ⅻである。昭和26年から昭和33年まで「週刊朝日」に連載されていた対談の単行本で、Ⅹまでは朝日新聞社から出ているが、赤字だったらしく、最後の二冊は夢声自らが出した私家版になっている。この私家版の二冊だけがぽろんと棚にあったので、一目ぼれしてしまった。百冊ちかく本を出しているし、かといってそれらがいつもいつも古本屋に出ているわけでもないので、ファン歴は長いのだが、なかなか著書をそろえられないでいた。

徳川夢声は、昭和中期まで活躍したタレントで、もとは活動弁士。本も大量に書いているし、俳句もやっていた。ラジオにもテレビにもその初期から出演していて、日本の放送史をひもといていったらだいたいこの人に会う。おれは放送文化史が好きで、実を言えば大学の専攻もいっときそれと迷っていたくらいだが、もとはといえば中学時代にこの人の自伝を読んだのがきっかけだった。戦争中、日本のラジオを傍聴する米国のために、でたらめな言語をでっち上げ、支離滅裂な架空の放送をつくりあげた話など、やたらめったら面白かった。エッセイに出てくる人の名前は誰一人として分からなかったが、こんな人たちがいたのだなと、かえって味わいがあった。みんな読んでね。

夢声研究は、彼の後輩にあたるタレントの三國一朗がまず行った。『徳川夢声の世界』 (青蛙房/1979年)や『徳川夢声とその時代』(講談社/1986年)は、同時代に調べうることがらの大方は網羅しただろうなという労作。夢声のことを知るならまずこれを読めばいい。そのあと、1974年生れの濵田研吾氏が夢声に惚れ込み、膨大な資料を蒐集されている。『徳川夢声と出会った』(晶文社/2003)というとても面白い本があるが、出版からもうだいぶん経っているので、そのうちまた次の本が出るんじゃないかとおれは信じてやまない。余談だが、おれは高校時代に濵田さんにファンレターを出して、お返事をいただいている。マイクに向かう夢声の似顔絵が描いてあって、とても感激した。

その濵田さんが、何か月か前にTwitterを始められた。毎日毎日、古い役者の話を書かれている。映画やテレビのスチールがよく出てくるが、いったいどこで手に入れるのかとおもう垂涎もの揃い。

『こんちワぁ社長さん 細川ちか子・財界50人対談』(評論新社、昭和42年)。2冊目の対談集には、『黒部の太陽』で滝沢修が演じた関西電力の太田垣士郎との対談を収録。映画でも描かれた破砕帯突破ネタで盛り上がる。おおば比呂司の装幀が可愛い。(19:39 – 2015年7月11日)

『私、違っているかしら』。森村桂(吉永小百合)は若いころの一時期、暮しの手帖社に勤めていた。劇中では「暮しの友社」として登場。花森安治をモデルにした編集長を演じるのは、宇野重吉。花森安治というより、宇野重吉が宇野重吉をやってるみたい。(19:12 – 2015年7月10日)

といった濃いツイートが連日投稿されるのでこれだけでTwitterをやっていてよかったという気になる。

いつにもまして誰も聞いていないことを書いたので反省して俳句の話にしてみるが、夢声が俳句を書いていたことすでに申し上げたとおりである。昭和期の伝説の文人句会「いとう句会」の言いだしっぺ。万太郎を宗匠にして、久米正雄、高田保、渋沢秀雄あたりのソウソウたるメンツが通っていた。まじで面白いから気になった人は調べてみてほしいしおれも近いうちに別のところに書く予定だから乞うご期待(八月は国会図書館に籠るぞー!)。

で、今回はいとう句会はおいて、別のところから。半年前位に草田男のことを書いた本を読んでいたらいきなりこういう話が出てきてたまげた。戦後すぐ「萬緑」に入って、草田男没後の平成2年には編集長もつとめた宮脇白夜の『宮脇白夜著作集第Ⅰ巻 草田男の森』(本阿弥書店/2002)である。

(〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉中村草田男『長子』について)
有史以来はじめて敗戦の苦汁を味わって自信を喪失していた当時の貧しい日本人達にとって、昭和二十七年のテレビ放送開始以前までの、金のかからない唯一の娯楽はラジオであった。そのラジオにおいて、戦後連続ドラマやのど自慢と肩を並べて圧倒的な人気を集めていたのが、天才的話術家徳川夢声である。(中略)自らの随筆集に『明治は遠くなりにけり』という標題をつけ、放送の中でも、その言葉をしばしば使った。それが当時のジャーナリストにも伝播し、新聞のコラム欄などにも多用され、その流行がテレビ普及の時代にも及んだのであった。以来「明治は遠くなりにけり」の語は「降る雪や」の上五を取り去って独り歩きするようになったと思われる。

まじか!!!!

そうだったのか!!!

そして!!!

出典を書け!!!!!!!!!

この話、かなり面白い。たしかに草田男の〈降る雪や……〉は昭和俳句を代表する一句である一方、表現レベルの高さとは関わらないところで人口に膾炙している。いまでも昭和の一時代を築いた誰かが亡くなったらニュースは「昭和は遠くなりにけり、だ」と言う。「昭和も遠くなりにけり、だ」のパターンもある。後者は「も」なので先行句の存在を明確に意識している。調べたことはないのではっきりとは言えないが昭和のある時期まではこの文脈で「明治は遠くなりにけり、だ」と言っていたのだろう。なにかの追悼記事でこの言い回しを見るたびにどうして草田男の句がここまで広く知られているのか不思議だったが、宮脇のこの文章はその源流を夢声だと指摘しているのである。

「自らの随筆集に『明治は遠くなりにけり』という標題をつけ」というのは早川書房から出ていた「夢声自伝」シリーズの明治篇『明治は遠くなりにけり』(1962)のことであろう。俳人でもあった彼がこの句を知っていたのは不思議ではない。かつ、放送界の大御所として多くの番組を持っていた彼には、その句のフレーズを持ちだす番組がいくつもあった筈である。宮脇が実際にその放送を聞いていたのか、あるいは別の本から聞きかじったのかは不明だが(宮脇は昭和35年というテレビ放送のごく初期からテレビ局に勤務していたので、どちらにせよ放送界の事情には通じていた筈である)、ない話ではない。表現史ではない俳句史を想定するのであれば、このエピソードの裏を取っておきたい。どうにかして調べられないものかとおれは思う。

だが! その番組がいずれであったか、いまや特定不可能なのではないかという諦念がおれを駆け巡る。この時代のラジオ放送、いまやほとんど現存しない。テレビ放送とて映像が完全な形で保存されるようになるのは1970年代になってからである。「放送」。送りっ放しと書く。娯楽として生産され、消費されていったそれらに人々が学術的な価値を見出し始めたのは近年の話である。

夢声が読みあげた〈降る雪や〉もまた送りっ放しにされたもののうちであろう。当時の彼の出演番組を考えるとこれあたりで喋ったのではないかという目星もついているが話が混乱したらまずいのでとりあえず書かないでおく。おれはまだあきらめていない。長い話になるだろうが夢声ファン、草田男ファンとしてどうにか新しい何かしらが分からないか調べようと思っている。夢声の文章にもしかしたらその放送が書かれているかもしれないし、ほかの人間の本に書きとめられているかもしれない。放送のことを調べているとしばしばこのような絶望的な状況に陥る。それを受け入れていかないときりがないのは知りつつ、切り捨てていくのはいかにも惜しいものばかりである。