2013年7月31日

devoid of salt
a salad
longs for a ballad

意訳:塩尽きて物語詩を恋うサラダ

最終日は「サラダ」を選んだ。語源には諸説あり、作者も三つくらいの説を読んだことがあるが、一番有力なのはラテン語のsal(塩)が転じたもの。古代ローマでは、生野菜に塩水(海水の場合も多かった)や塩を混ぜたオイル・ビネガーをドレッシングとしてかけていたからである。初代皇帝アウグストゥスも薬剤として食べていたらしい。サラリーマンのsalary(給料の意)も同じ語源から来ている。古代ローマの歩兵が当時貴重品であった塩を買うための俸給という意味である。なお、salaryは英語だが、サラリーマンは和製英語。肝心のサラダの方は、ラテン語のsalが転じたsalata(塩辛い)がフランス語のsaladeとなり、それが14世紀頃にsaladないしsalletとして英語に取り込まれた。

このようにサラダの歴史は二千年に及ぶが、西洋では19世紀後半になるまで広まらなかった。英国のリチャード2世、スコットランドのメアリー1世、フランスのルイ14世等の王侯が好んだレシピは残されているが、たぶん新鮮な野菜が調達できる季節が限られていたことや寄生虫等に起因する衛生上の問題から、なかなか人口に膾炙しなかった(余談であるが、「膾」はなます、「炙」は炙り肉の意)。ジョン・イーヴリンが1699年に著したサラダの啓蒙書『Acetaria: A Discourse on Sallets』は結果的に徒労に終わった力作である。緑野菜以外も入れた現代的なサラダは17世紀頃のアメリカで生まれたらしいが、広まったのは19世紀後半で、世界的にミックスサラダが普及したのは20世紀後半である。実際、日本や中国で野菜を生食する習慣は皆無に近かった(薬味の葱、果物の瓜類は例外)。日本では、明治時代になって一部の食通が食べはじめ、昭和になって色々な料理本に載るようになったが、結局、各家庭の食卓にサラダが出るようになったのは1970年代とされる。アメリカでは、大きめのサラダは立派な食事として扱われているが、21世紀に入っても、日本ではサラダはいまだに前菜かメイン料理に付け合せる小鉢扱いである。

掲句のballadは、14~15世紀フランスの詩型でも、それに由来する音楽形式のバラードでもなく、旋律付の口承説話ないし物語詩と訳されているバラッドのことである。西洋では古くから吟遊詩人たちが歴史、武勇伝、ロマンス、社会諷刺、政治等をテーマに韻文による歌詞を作り、それに旋律を付けて歌っていた。今でも多くの西洋の詩人たち(ハイキストも含む)は自分たちが吟遊詩人の精神的な末裔であると信じており、詩集の刊行よりも、(彼らにとっては吟遊詩人の公開演奏に匹敵する)朗読を重要視している。作者は朗読が苦手であるが、それでもハイクのエッセンスは吟遊にあると信じている。

最終回なので、掲句には吟遊詩人たちが好んでいた押韻を多用した。吟遊詩人が活躍していた西洋では、古来より詩歌は目で読むよりも耳で聴くものという位置づけであり(視覚詩などもあることにはあったが)、今でも詩人たちは耳触りがよく、覚えやすく、ウィットの効いたフレーズを作るために腐心している。押韻はそのためによく使われる。決して馬鹿馬鹿しい言葉遊びではないのだ。意訳の方は、相変わらず韻律を訳せず残念な結果となったが、こちらはこちらで吟遊詩人たちが重要視した韻文精神に基づいて、日本では定型と言われている五七五にしてみた。

31回の連載、駄句や駄訳も多かったが、少しでも楽しんでいただけたら、少しでも英語ハイクについて知っていただけたら、少しでも俳句が秘めている可能性(もしくは俳句以後の可能性)に気付いていただけたら、作者冥利である。感謝。