海峡のごとくきっぱり麒麟の背
日本で自分にとって大事だった経験は、こちらにいても、ことあるごとに思い出す。
僕は大学に入って、おどりを始めた。「京炎 そでふれ!彩京前線」というサークルで、振り・曲・衣装に京都らしさを散りばめたおどりを踊るのである。自分たちでオリジナルのおどりも作り、練習し、地域の福祉施設やイベント、果ては全国各地の大会に遠征する。高知県発祥の「よさこい」にかなり近いが、似て非なる物なのだ。以下のリンクは、そのパフォーマンスをおさめたもの。
俳句をやっていると告げると、サークルの先輩からバショウというあだ名をつけられた。2年生の時には100人を越えるメンバーの中で副代表を1年間務めた。集団パフォーマンスの魅力、組織の動かし方、人との付き合い方、お酒の飲み方、色々と学んだ。
僕の一番のタスクは、練習の締めの一言や、大会での演舞前に気合を入れるスピーチで、全員の士気を上げることだだった。そこに全てを懸けていた。岡本太郎から聖書まで、様々な名言を調べ、ストックを溜めておき、その状況に合わせて活用した。スピーチの中には俳句を入れることも多く、みんなが僕のことを「俳句の人」と認識していたはずだ。
しかし、3年間の活動の中で、満足のゆく俳句をみんなの前で詠めた試しはない。僕には条件が厳しすぎた。「炎天やみんないるからおどるんや」「輝くは玉の汗拭く時のため」などは、みんなが「がんばるぞ!」と思うための装置としては機能したかもしれないが、僕はそれらを自分の俳句作品として認めたくない。
おどりは文字通り「青春」と呼ぶのがふさわしい、いわばサクセスストーリーを実現させようとするものである。対して、類想からの脱却を常に考える僕としては、そうした既成の「サクセスストーリー」を追い求める場に適した、いわゆる類想に根差した俳句を作ることは、とても辛かった。(つづく)