桐一葉僕、幽霊になれますか
幽霊と妖怪は違うのか。
これも、答えは単純ではない。
民俗学の祖、柳田国男は、妖怪を場所につく、と定義し、幽霊を人につく、と定義した。つまり妖怪は出現場所が決まっていて相手が決まっていないが、幽霊は相手が決まっていて場所は関係がない、というのだ。しかし皿屋敷のお菊さんやトイレの花子さんのような土地につく霊の話は多いし(いわゆる地縛霊)、座敷童や狐憑きは「家」につく。
幽霊は死者、妖怪は人外、ともいう。あるいは妖怪は自然現象に霊性をみるアニミズム信仰、幽霊は人間を神格化した人格神信仰、という説もある。しかし妖怪と原始アニミズムとは同じではないし、そもそも古代の『風土記』『古事記』には「妖怪」が登場しない。
実は「幽霊」は、能で多用された言葉である。周知のとおり能では幽霊や植物の霊があらわれて、ラストでたいてい成仏する。死者の霊という考えははやくからあるが、中世には草木にも霊があり成仏できるという仏教思想が広まっており、霊への注目が幽霊や植物霊を登場させたのだ。『狂歌百物語』『狂歌百鬼夜狂』などを見ていると「化け物」の名のもとに「累」「木幡小平次」のような当時人気の怪談芝居も兼題入りし、当時の人が「妖怪」と「幽霊」を区別せず、かなり雑多に使っていたことがわかる。
幽霊と妖怪(化け物)とをきびしく区分する見方は、あるいは人間霊とその他とをきびしく区分する、西欧的価値観に影響されているのかもしれない。
参考.柳田国男『妖怪談義』(講談社学術文庫、1977)、諏訪春雄「幽霊・妖怪の図像学」『妖怪学大全』(小学館、2003)