2015年9月22日

大花野見えざる鳥を母は指す

池袋駅の近くを夜に歩いていたら、黒くつやめいたクルマがぼくを背中から追い抜き、颯爽とラブホテルへ滑り込んでいった。ぼくが今まで見た右折の中で、最も美しい右折だった。過不足のない減速と、流麗なハンドル捌き。心の昂りを隠した冷静な運転技術に、敬意を表したい。

五月な運転免許を取得してから、度々ドライブに出かける機会があった。六月のこと、実家から九十九里浜までひとりで海を見に行ったのがはじめての運転だった。七月には、夜8時に大学の最寄駅で友人を拾ってそのまま山梨へ向かい、夜通しクワガタを探した。翌日の昼に無事帰ってきたものの、最後の車庫入れでぶつけた。八月には熱海や金沢にも行ったが、運転は荒いと思う。教習所での適性検査では技能面では高得点だったのに、精神面で非常に結果が悪かった。ぼくみたいなタイプの人は、大事故を起こす傾向があるらしい。

幼い頃は市販の自動車なら車種を全て覚えていたくらいクルマが好きだったぼくは、幼稚園の卒業アルバムにF1レーサーになりたいと書いていた。しかしいつしか、クルマへの情熱を失ってしまった。理由はわからない。免許を取ろうと思い立ってから、またクルマが好きになった。もしそのままクルマを愛し続けていたならば、今頃は工学部に進学して機械工学を学んでいたかもしれないな、と思う。選ばなかった人生は、ときに羨ましい。

幼い頃は、父の運転するクルマの助手席に座るだけでわくわくしていた。クルマが、そしてぼくの身体が加速していく感じ。この感覚は、車高の高い幼稚園バスでは味わえない。だから助手席は、ぼくに非日常を感じさせた。家族旅行の帰りに駆け抜けた首都高速の灯りは、今も瞼の裏に灼きついている。

ぼくの運転するクルマの助手席には、誰が座るのだろう。恋人が妻へ、そして息子や娘へと変わってゆくのか。まだ想像のできない世界だ。やがてぼくは、赤信号の前でふと助手席を見つめるだろう。そのとき、選ばなかった人生を、想像したりするのだろうか。