2017年9月29日

つゆくさの指​にゆふべの​うろこかな

●〈かたち〉なきさえずり●

鳥に関する出来事のひとつとして覚えているのは、ジョン・ケージの『小鳥たちのために』という本のこと。ちょうど中学生となり、お小遣いの中から全音の『エリック・サティ全集』を毎月1冊ずつ購入していた時期でした。それでジョン・ケージのことは知らなかったけれど、書名が素敵だった​こともあって興味をもったんです。

ところがいざ読み始めてみると、難しすぎて少しもわからない。これ、音楽以外にも沢山の知識が、そしてまたほんの少しの労働経験が必要な本だったのでした。

『小鳥たちのために』という書名は、オクタビオ・パス『弓と竪琴』の一節から来ています。

「『荘子』が、道の体験とは一種の本質的または根源的な意識に立ち返ることであり、そこでは言語の相対的意味作用が無効である、と説明するとき、詩的な謎解きである言葉の遊びを用いている。私達の根源的な姿への回帰というこの体験は『小鳥を鳴かせずに鳥籠に入れる』ようなものだ、と『荘子』は語っている。ファンFanは「鳥籠」と同時に「回帰」を意味する。ミンMingは「鳴き声」と同時に「名」を意味する。したがってこの文章は次のような意味ももつ。『名が余計であるところに還る』、つまり沈黙に、自明の王国に還ること。名と事物が解け合い、一体となっているところ、つまり名づけることが存在することである王国、詩へと還ること」(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』、青山マミ訳)

小鳥を、その名がもはや無用となる王国へと返す。すなわち詩のただなかへ。詩そのものの中へと舞い戻った小鳥のさえずりは、きっと耳では捉えられない静謐な光の美しさなのでしょう。