存亡の秋をかたみの紐ひとつ
●無所有としての〈かたち〉●
かつて自分のブログに〈おりがみ〉と〈あやとり〉の感触の相違についてこんな風に書いたことがありました。
《折り紙というのは、どれもこれも形がよく出来すぎている。そして作った〈もの〉がそこに残る。
あやとりは、どんな形も謎めいている。それはやわらかな幾何学さながら次々とその〈かたち〉を変化させ、またそっとテーブルにおいたときは古代人のらくがきにもみえる。まるでわたしたちの想像力を試しているかのような。そう、要するに「イメージする力」がこのあそびの本質なのだ。だがそれにもまして極上なのは、あやとりでは作った〈もの〉を必ず壊してしまうこと。この途方もなく純粋な無所有性。
あやとりの快楽というのは、そのイメージの透明度と、物質的な達成感のなさにあるのかもしれない。》
あやとりは〈静止するかたち〉の解釈ではなく、パターンを創造しつつそれを変化させること、空間と時間の相をふわふわとただようこと、無限へ向けて絶え間なく運動しつつ不意の回帰を経験することといった、〈流動するかたち〉を生きることがその本義です。
そしてまた、流動を止め、指から糸が離れたとき、そこに存在するのはひとつの環であった、という美しい結末。
image : https://www.mca.com.au/collection/exhibition/658-string-theory/