2017年9月28日

存亡の秋をかたみの​紐ひとつ

●無所有としての〈かたち〉●

かつて自分のブログに〈おりがみ〉と〈あやとり〉の​感触の相違についてこんな風に書いたことがありました。

《折り紙というのは、どれもこれも形がよく出来すぎている。そして作った〈もの〉がそこに残る。

あやとりは、どんな形も謎めいている。それはやわらかな幾何学さながら次々とその〈かたち〉を変化させ、またそっとテーブルにおいたときは古代人のらくがきにもみえる。まるでわたしたちの想像力を試しているかのような。そう、要するに「イメージする力」がこのあそびの本質なのだ。だがそれにもまして極上なのは、あやとりでは作った〈もの〉を必ず壊してしまうこと。この途方もなく純粋な無所有性。

あやとりの快楽というのは、そのイメージの透明度と、物質的な達成感のなさにあるのかもしれない。》

あやとりは〈静止するかたち〉の解釈ではなく、パターンを創造しつつそれを変化させること、空間と時間の相を​ふわふわとただようこと、無限へ向けて絶え間なく運動しつつ​​不意​の回帰を経験することといった、〈流動するかたち〉​を生きることがその本義です。

そしてまた、流動を止め、指から糸が離れたとき、そこに存在するのはひとつの環であった、という美しい結末。

image : https://www.mca.com.au/collection/exhibition/658-string-theory/