『鬼貫のすすき』求(と)めゆく翁かな
いまだにその全貌がよくわかっていない俳人のひとりに永田耕衣(1900~1997)が挙げられるであろう。
『鬼貫のすすき』(コーベブックス 1976年)は、その耕衣の著作で、江戸時代の俳人上島鬼貫(1661~1738)についての評論となる。
耕衣の出身地は、兵庫県の加古川市。
鬼貫もまた、時代が異なるとはいえ、兵庫の伊丹の俳人ということになる。
鬼貫の句の、
さくら咲くころ鳥足二本馬四本
骸骨のうへを粧て花見かな
非情にも毛深き枇杷の若葉哉
などには、耕衣とも共通するある種の野趣や卑俗性が認められるであろう。
そのことは、京都の俳人であった与謝蕪村(1716~1784)の作品と比べてみた場合、より一層明らかとなるはずである。
例えば、蕪村の、
ゆく春や同車の君がさゝめごと
牡丹散つてうちかさなりぬ二三片
金屏のかくやくとしてぼたん哉
などの雅趣を見れば、その位相の違いが理解できるであろう。
耕衣は、こういった中央的な美意識の洗練とは対照的な、俳諧、禅、仏典、モダニズム等々多種多様な要素が混在・融合したひとつのカオスともいうべき俳人といえるはずである。
最近、その耕衣の全句集が、遂に刊行されたとのこと。
『永田耕衣俳句集成 而今・只今』(沖積舎 2013年9月19日) 18900円
耕衣という稀有の俳人の句業を俯瞰できることを考えれば、この全句集の値段はさほど高いものではないといえるかもしれない。