2013年8月6日

既視感は誰の記憶か原爆忌

原爆忌という季語は重い。季節感を超越した、人の思いが何重にも積み重なってできた季語だからだ。俳人は震災忌にならい震災忌と言うが、平和祭とも呼ばれ、また広島と長崎では別に扱われる。立秋を挟むため、厳密には広島は夏、長崎は秋に分かれることになっているようだ。

昭和二十年八月六日に原子爆弾が投下されてから六十八回目の「原爆の日」を迎えるヒロシマ。カタカナ表記のヒロシマは、原爆投下の地という意図を含んだものだ。平和記念公園では毎年「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、犠牲者に祈りをささげている。

話すと驚かれるのだが僕の父親は七十過ぎで、兄姉を探すため祖母に連れられて原爆投下後の広島市街へ行き、そこで被爆した。つまり僕自身は被爆二世ということになる。父からも亡くなった祖母からも戦争のことはほとんど聞かされていないが、平和教育を受けるたびにDNAに刻み込まれた何かが込み上げてくるような錯覚に陥ったものだ。

実際に経験していないことを詠むこと、特に重たい出来事に関しては、そのことを軽視しているのではないかなどと言われることもあるだろう。震災の3・11の時もそうであった。しかし、直面こそしていないが起こった出来事というのは今でも何らかの形で続いているのだ。戦争は終わったが、戦争を無くし、戦争を起こさないための戦いは今まさに行われているのだ。人に代わって詠むことにも、きっと意味がある。

原爆忌ではないが、昨年の俳句甲子園の決勝戦、松山東高校の優勝を決めた句を紹介したい。

背景のなき向日葵や爆心地 東影喜子

向日葵に触れ、当時の光景が作者自身の中によぎった句だ。毎年のように、広島の高校生達も自分たちの使命のように戦争や原爆の句を詠んでいるが、この句を見たとき彼女たちが「私たちの伝えたかったものがそこにあります。勝負には勝てなかったけどそれが嬉しい」と話してくれた。きっと、そういうことなのだ。

2013.8.6