虫の音や私も入れて私たち   野口る理

 「我々」ではなく「私たち」。その「私たち」を「私」に戻し、そうやって戻した「私」をもう一度「私たち」にする。集団と個の関係性などというと大げさだが、「私」という息づかいを損なわず「たち」という複数になるのはとても難しい。「私」はたやすく「私たち」に吸収されてしまう。「私」はすぐに「私たち」をはみだしてしまう。「私も入れて私たち」とは、奇跡のように美しい時間だ。澄んだ「虫の音」がふさわしい。

「眠くなる」(『俳コレ』邑書林、2011)より。