木枯さんが亡くなってしまったのを知ってから、今月発売された『俳句α』の木枯さんの写真を時々見て夜中にため息をついてしまう、やっぱり寂しいんだろうなぁ…。
僕の好きな木枯さんの俳句を紹介したい、手に入れやすい最近の三句集から、この世とあの世の境界線の上でうつらうつらと綱渡りするような不思議な魅力があって、木枯さん以外ではちょっと作れそうにない。
八田木枯 「天袋」
紅梅は空に遊びて降りて来ず
降りるとか降りて来ないとか
穴子焼く世を捨てしにはあらめやも
何考えてんのかわかんない人になりたい
昼寝してゆくべきところまで行きぬ
あの世にタッチして戻ってくるぐらい、木枯さんなら出来そう
殺虫剤部屋の隅にて拮抗す
殺虫剤って言葉自体がじーっと見ているとなんとも邪悪に見えてくるのかなぁ
秋の暮きのふにまさる暮ならむ
凄まじい、暮
揺るるらむ冬の銀河に花を挿し
うっとりしてしまうなぁ
誰に言ふことなく云ひし夜着の穴
夜着の穴がまるで黄泉の国への洞窟みたい
まよなかをゆきつもどりつ冷し桃
悪夢の中のような不安感、なんで桃がこんなに美しく冷たく見えるんだろう
立読みの少年夏は斜めに過ぎ
蝉の声が聞こえてくるよ
少年に日の暮があり夏ひとしほ
赤過ぎる夕陽が見えるよ
母に傷つけて素知らぬ糸すすき
僕が俳句を作る時、糸芒と書かなくて糸すすきと書くようになったのはこの句を知ってから
夏ばての父の胸毛を襲撃せよ
そして抜くのだ、胸毛
とこしへに数を捨てゆく手毬うた
「とこしへ」という平仮名が僕には一字づつ動いて見えてくる。
素の母やいくつぬいても糸すすき
「素」の一字でなんでこんなに美しく見えるのかなぁ
戦友にばつたりとあふ蝉の穴
やぁとは会わない、「必ず」ばつたりと会う
死ぬまでを往つたり来たり墓詣
黄泉という世界がその辺の坂道ぐらいでも、ぶわっと見えてしまってたのかな、と初めてお目にかかった時に感じてしまいました。こう、ぶわっと…
少年も鶴も刃物を隠しもつ
少年も鶴も刃物も白くてすらり
うしろとは死ぬまでうしろ浮き氷
木枯さんの不安は邪悪な不安じゃなくてなんだか透明な空気みたいな不安
人ほどに寂しがらずに笹鳴ける
人はどうにもこうにも寂しい
紅梅やどつと笑ひしあかるさに
木枯さんにとって天国はきっと明るい
われも亦黒板消しに消される日
わっ…
蝶がゆき死ぬときは死がそびえ立つ
そびえ立つ死、木枯さんの俳句に出てくる死は厳しくて美しい
天皇のごとく明るく寒玉子
つるりん
死ねばすぐ大むらさきともつれたく
妖しくて美しくて、木枯俳句は綺麗じゃなくて、美しいと言う方がよく合う
天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ
のび太君に出してあげたい
死ぬまでは生きてゐし人ひやし桃
遠くに死があるのはみんなそうなんだけど、木枯さんの場合うまく言えないけど、それが尋常じゃなく「遠い」感じがする
「夜さり」
初ゆめにいろありていろうすあさぎ
あぁ木枯好みのうすあさぎ
箱に入るくぐつの髪は溢れけり
とっぷり黒い
鬼房逝く砂に寒星ぶちまけて
鬼房でこれ以上の追悼句はちょっと無理じゃないでしょうかね、ぎらぎらの寒星をぶちまけるのさ
手毬つきつつ針千本をのまさるる
するするすると飲まさるる
鶴は引く人差指のあひだより
するーっと通る
鶴は引くこころのなかに灯を入れて
木枯さんの鶴の俳句は、全部好き、もうほんと全部好き
老人の背に貼りつきし余寒かな
ぺたっと
春なれや生きて忌日にかこまるる
囲まれているって感じちゃうんだろうなぁ
うぐひすのこゑが障子にたまるかな
たまるのかな
戦中をころげまはりしラムネ玉
戦中とラムネ玉がよく合ってしまう
昼寝より覚めしところが現住所
あはは、そもそも家でお昼寝されてたと思うけれども
月よりも古きものなし抱きまくら
そんな事を考えてしまう。思い付くんじゃなくて、きっと、考えてしまう
生きてゐるうちは老人雁わたし
僕がどこか「若さ」を恥ずかしがるようになったのも「老い」に憧れを持つようになったのも、木枯さんの影響だと思う
色鳥が畳つめたくして去りぬ
あ、いっちゃった
子どもには子どもが見えて秋のくれ
秋のくれの「くれ」の魅力がたまらん
鶴の手をひいてよこぎる奥座敷
鶴女房という言葉が常に僕に居着いたのは木枯さんの影響
家裏で鶴手なづけし少年よ
この少年は木枯さん、鶴もまた木枯さん
人戀ひのかたちに鶴は凍りけり
抱きしめたい
「鏡騒」
むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ
男の闇だぞ
寒鯉の頭のなかの機械かな
確かにメカっぽい
紅梅はうるさかりけり残る生
梅がこの世のものじゃない感じに見えてくるようになったのは木枯さんの影響かな…
蝶を飼ふ人差指はつかはずに
上級者
鶯や障子に穴をあけたるは
たぶん違うけど
春を待つこころに鳥がゐて動く
大好き、もう一番好きな俳句、僕も心に鳥を飼いたい
引鶴のばさつく音の夜陰かな
「ばさつく」のが木枯さん
残花かな藤田湘子のめがねかな
丸いめがね、このリズムがなんとも言えない
荷風忌のラインダンスのうねりかな
このうねりがなんとも言えない
傘と傘殺ツとふれ合ふ櫻桃忌
殺ツと触れあってしまうし、そう見えてしまう
黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒
木枯さんは削るより足していくタイプの句の作り方だと思う、こだわってこだわって…、「ゆき過ぎしかば」からは一字も削りたくない
金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ
とんでもないことに…
躍りけり死者の数には覚束ず
「覚束ず」が木枯調
死なない老人朝顔のうごき咲
この俳句のせいか根拠はないけど木枯さんって、死なない人だと思ってた…
死ね死ねと言はんばかりにもみぢしぬ
紅葉山なんか行ったらとんでもないよ…
鶴のこゑ絵具をしぼりだすごとく
歯みがき粉みたいにぎゅう~
誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ
死も死者も匂ってしまってたのかなぁ…、元気な時も僕はなんだかこの世の人じゃないような、仙人みたいなそんな魅力を感じていました。
冬ふかし柱が柱よびあふも
それが聞こえてしまうのかな、そしてその事も楽しんでいたのかなぁ、これも僕には、木枯さんの心の中の事のような気がする
木枯さんの俳句がこれからもたくさんの人に伝わると良いなぁ、僕がじーさんになったら二十歳ぐらいの子に教えてあげたいな。
八田木枯はやはり別格の俳人でした
次週から通常のきりんのへやです