2015年7月29日

一と一和の二なりける夏休

大学図書館の廊下を歩いていたら床にメッセージが映し出されていた。

「ここに図表は表示されていますか?」。

床には他に質問が言っているとおぼしき古文書の画像が表示されていて、その上は「はい」と「いいえ」に分かれていた。少し迷って「はい」の上を歩いた。上の方から「ありがとうございました」という声が聞こえてきた。こういうのをクラウドコンピューティングと言うのだったっけなと思ったが、新しい言葉にはうといので合っているかはこころもとなかった。莫大なデータを不特定多数の人間に処理させるシステムがあって、それはクラウドコンピューティングの技術の一種なのだと前に気まぐれで行った理系の授業で聞いた。図書館の床のコレはおそらく、画像が表示されているかどうかを予めコンピューターが判断していて、その正誤を何人もの人間に確認させていたのだ。人間の善意が前提になっている気がしたが、とかくそういう技術がいまはあるのだなと惚れ惚れした。未来っぽかった。

一年生向けに山海嘉之が特別講義をするというのでモグりに行った。山海教授は理系の先生だったがかっこいいので好きだった。サイボーグ型ロボットスーツ「HAL」を作り上げた教授だった。HALはいま世界でいちばん進んでいるサイボーグ技術だ。手や足に装着すると体内の電気信号を受け取って本物の身体のように動く。体が不自由な人が使うと身体機能が戻ることがある。ロボットスーツなので元以上の力を出すことも可能である。介護をする側の人間が装着することによって肉体的な負担が大きく減る。この技術で教授は重介護ゼロ社会を目指している。

生後11か月でポリオに感染して以来50年左脚を動かせなかった人がHALをつけて十数分で足を動かせるようになる映像などを見ると心が動いた。来年には医療機器としての認可を受けられるそうだった。すごい時代だよなと思った。

講義はじきに教授の半生を振り返る内容になった。新一年生の啓発の授業なのだった。小3でアシモフの『われはロボット』を読み、石森章太郎の『サイボーグ009』のアニメを見てから一筋にロボット工学者をめざした。話を聞いている限り寄り道がないので目がくらんだ。小学校時代に書いたという作文の写真がスライドに出てきた。

ぼくは大きくなったら科学者になろうと思う。自分の研究所でロボットを、よりすぐれた物にしようと思う。

文章の余白には、こんなものが書き添えられていた。

科学とは 悪用すれば こわいもの

「科学者倫理を語っているわけです、この少年は。いかしてるなあと思いましたね」と教授は笑う。この標語らしきものはいかにも1960年代の科学観を体現していよう。〈ロボットは人間に危害を加えてはならない〉にはじまるロボット三原則を生んだ『われはロボット』、あるいは、死の商人に改造されたサイボーグたちの反乱を発端とする『サイボーグ009』に触れて育った山海にとって、この科学倫理はしごく当然のものであった筈だ。かつ、時代の空気感とも呼べるだろうこの倫理が、山海のみならず他の多くの少年少女にも共有されていたことは想像に難くない。

〈科学とは 悪用すれば こわいもの〉と作文の余白に書いた少年がHALを作った。おれは過去と未来とが明確な直線で繋がっていることに感動を覚えていた。未来はそのようにして生み出されていた。

さっきから、未来と現在をごっちゃにして言っている。でも、HALは未来っぽい。

何日かして近所のショッピングモールに行った。名前はイーアスつくば。たぶん「いい明日」のことだ。中身はイオンのようなものだがこういう名前を付けるとたしかに洒落ている。欲しい漫画があったので行ったが、暇だったので用事が終わってからもぶらぶらした。二階を歩いていたら「CYBERDYNE STUDIO」と書かれたスペースがあった。サイバーダインといえば山海教授が作ったサイボーグの会社だった。覗いてみるとHALやそこにいたるロボット技術を展示している場所らしかった。

鉄腕アトムの人形、アームトロン、AIBO、ファミリーコンピューターロボット、細川半蔵のからくり人形、ルンバ、ニューヨーク万博に出品されたロボット・エレクトロ……いろいろなロボットが時代もばらばらに展示されていた。そのなかにルンバが入っているのが面白かった。何年か前にルンバが出てきたときはたしかに衝撃を受けた。のび太の玄孫・セワシくんの家にあんなのがあった。

展示の最後は芙蓉ロボットシアターで働いていた一台だった。85年のつくば万博にそういうパビリオンがあった。50台のロボットがショーをしていた。展示されていたのはショッキングピンクの胴体を持った三等身のものだった。やたらと大きな目になぜか睫毛が描かれていてダサかった。

あとで当時のニュース映画を見つけた。

科学万博の主役のひとつが、ロボットたち。50台のロボットが楽しいショーを繰り広げるロボットシアター。科学技術が生んだロボットと人間の交流がテーマです。

こちらはおよそ3分で似顔絵を描くロボット。うまいもんでしょう?

開幕早々雨にたたられ、寒さに震えながら食事をする姿も見られました。でも、それでも見たい21世紀。雨にも関わらず、つめかける人々の心だけは、いつになっても科学の力では解明できないようです。(『昭和ニッポン 一億二千万人の映像』講談社/2005)

この能天気さはたぶん、〈科学とは 悪用すれば こわいもの〉と紙一重だ。

つくばに住んでいると未来を感じる。いま来ている未来だけではない。〈3分で似顔絵を描くロボット〉のごとき古い未来もあちこちに残っている。ずっと未来に近い町だったのだと思う。おれはそんなつくばが好きだった。東京に遊びに行った帰り道、みらい平、みどりの、万博記念公園、研究学園、つくばといった駅名を辿るつくばエクスプレスが好きだった。