2015年1月29日

水涸れて梯子をのぼる手足かな

今、目に見えているこの明るい天井は、闇の手前に被せられた蓋なのだ。

すると、いつも目に見えていた空も、
つい昨日そよいでいた木々も、
いつか街に明滅していた人々のあの眩しいありようも、すべては闇に被せられた蓋、
とても眩しい蓋にすぎなかった、ということか。

これは、今までの私の考えを裏返すものだった。

私はこれまで、覚めている眩しさに、被せられる闇が「蓋」なのだと思っていた。
そうではなく、もとよりある闇に、被せられる眩しさが「蓋」だったのである。
逆だったのだ。

覚めている眩しさは、蓋にすぎなかった。
そして、蓋の背後には、途方もない暗みが広がっている。