ときに日は冬木に似つつ沈みたり
似る
あるものAとBが似ている、という現象はなんだか微笑ましい。
それは子がその親に似たある部分を発見したときの感情に近いのか。
または、AからBに認識が遷移するときの心の働きが快感なのかもしれない。
我々俳人は、永遠に「俳句に似たなにか」を生み出し続けている、という言い方もできるのでは。
黄で書けば鳥はひよこや春きざす 仮屋賢一 『週活句会合同作品集「WHAT B面」』
蜂を描くしだいに蝶に似て来たる 岸本尚毅 『舜』
ときに日は冬木に似つつ沈みたり
似る
あるものAとBが似ている、という現象はなんだか微笑ましい。
それは子がその親に似たある部分を発見したときの感情に近いのか。
または、AからBに認識が遷移するときの心の働きが快感なのかもしれない。
我々俳人は、永遠に「俳句に似たなにか」を生み出し続けている、という言い方もできるのでは。
黄で書けば鳥はひよこや春きざす 仮屋賢一 『週活句会合同作品集「WHAT B面」』
蜂を描くしだいに蝶に似て来たる 岸本尚毅 『舜』